キリスト 教 教典。 キリスト教と仏教の教典

キリスト教と仏教の教典

キリスト 教 教典

詳細は「」を参照 ユダヤ教において、聖書とは、までに書かれたおよびの文書群。 と呼ばれる文書()を核に、預言書(神からの啓示であるの記述)および歴史書、諸書と呼ばれる詩やを加えたものをさす。 キリスト教でいうと内容は同一であるが書簡の並び順は異なる。 紀元前4世紀ごろには、この文書群が、「聖書」つまり統一された1つのとして認識されるようになった。 現存する最古のは紀元前1世紀頃書かれたとされるに含まれている。 紀元前4世紀頃から、訳が作られるようになった。 有名なものにで編纂されたがある。 現在、とされるものの範囲は1世紀末ので確定された。 正典とされる書物の範囲は本来慣習により多くは固定されていなかったが、崩壊ののち、のに対する民族的、宗教的結束を図る動きがあり、ヘブライ語・アラム語(アラマイ語)の原典の存在が知られていたもののみを聖書正典と定めた。 から除外されたものを、・と呼ぶ。 16世紀に諸派が、このときユダヤ教が聖典としていた文書群の範囲を採用しキリスト教にとっての旧約聖書であるとしている。 キリスト教 [ ] または 詳細はを参照 、、、 詳細は「」、「」、「」、「」、および「」を参照 聖書はの聖典であり(ただし位置付けはにより異なる、詳細)、 Old Testament と New Testament からなる。 キリスト教では、以前の預言者と神の契約を旧約と言い、キリスト以降のキリストの言葉や奇蹟を弟子たちがキリストの死後書いたものを新約聖書と称している。 「旧約」「新約」の「約」とは、とののことで、頃からキリスト教徒の間で呼ばれ始めた。 「『新約』はユダヤ教での神との契約を反古にして、神と新たに契約したということであり、旧約聖書は教典の役割を果たさないものである」と捉えるのは誤りであり、例えば新約聖書の一節「天と地が消え失せるまで、すべてが成し遂げられるまでは、律法からも消えることは無い」 5:18 に見るように、キリスト教においても旧約聖書は決して無視できない書であり、正典に数えられている。 一方で、旧約聖書のうち「」「」などと呼ばれる部分の捉え方は、教派により異なる。 の範囲を基本とする および は正典に数えるが、では正典から外されている(ただし「正典ではないものの、読むのは有用」とされる場合もある)。 位置付け [ ] 聖書は全てのキリスト教において聖典とされるが、その位置付け、範囲などは教派によって異なる。 ここではそれぞれの教派の主な特徴を挙げる。 「」も参照 聖公会 [ ] 旧約聖書と新約聖書には「救いに必要なすべてのことが記されている」とされる。 等とも呼ばれるアポクリファについては、旧約の民が書いた教会で使われる諸書である(正典には数えないが使う)と位置付けられる。 プロテスタント [ ] においては、「」が重要な教理と位置付けられ 、(聖書のみ、信仰のみ、恵みのみ、キリストのみ、神の栄光のみ)の一つをなしている。 ともよばれるアポクリファについては、 は「正典ではないが読むのは有用 」としたが、 正典に数えないだけでなく読む事も勧められない場合もある [ ]。 では、を旨とするやはを用いる傾向にあり、に上梓されようとしているに移行してゆくものと思われる。 同様に、のであればを用いる傾向にあるといえるが、あくまで傾向であって、逆にしてはならないきまりはない。 むしろ個別には、諸事情により傾向に添わない例もしばしば見受けられる。 ほかにもなどが用いられており、のふつうの聖書であれば、実際には訳が問題となることはさほどない。 また、翻訳の差異に対する考察を入り口にした内省も許容される傾向にある。 逆に、の訳によるは、ほぼ決して礼拝には用いられることはないが、問題となるのはプロテスタントやキリスト教会の訳といえないことよりも、本人たち以外から指摘されている重要部分の改ざんである。 東方教会 [ ] 正教会 [ ] では、聖書はのうち、書かれたものの中で最も重要なものであると位置づけられる。 聖書は聖伝の一部であり、「聖伝」という一本の柱の中に聖書は含まれていると理解される。 「正教会の聖伝を生きる人は、聖書を「自分のことが書いてある書」として読むことができる」とされ、「聖伝の中に聖書がある」ことが強調される。 また、も活発に行われ、2017年現在、聖書は全部または一部が世界3200以上のに翻訳されている。 そのなかには、訳や、訳なども含まれている。 全世界 全世界での発行部数は50億部(以上) 、60億冊 、70億冊 、80億冊、150億冊 、1815年~1998年に約3880億冊(推定) などの説がある。 2000年の1年間に世界中の聖書協会によって約6億3300万冊が配布・販売(の発表) 世界一発行されている本としてに登録されている(発行部数は資料によって食い違いがある。 日本 1874年~2004年に3億4584万1334冊が頒布(調べ) イスラム教 [ ] 詳細は「」を参照 イスラム教においても新旧約の聖書はとされる。 ただし、新約・旧約という分け方はせず、正典に含まれない書もある。 また、聖書よりもが優越すると考えられており、内容に齟齬がある場合はクルアーンの記述が優先される。 これは現行の聖書は、預言者たちに下された元の形から、ユダヤ教徒、キリスト教徒の手で歪められたとされるためである。 イスラム教においてはクルアーンは啓典を確証すると同時に現行の聖書の誤りを糾す啓示でもある。 のあいだでは聖書のうちのある章句をムハンマドの出現を予言したもの、とする解釈もなされる。 代表的なものは18章18節-19節の「イスラエルの兄弟(同胞)から立てられるモーセのような預言者」をムハンマドとする説である。 なお『』5章46節ではイエスがモーセは自分について書いている、と語ったとある。 『』3章20節以下ではが申命記の一節をひいてこれがイエスのことであると語ったという記載がある。 ただし、学者たちは人々の必要に対して出現する一連の預言者たちを指すと考えている。 他宗教における聖書 [ ] 詳細は「」を参照 イスラム教以外にも、イエスなど聖書に登場する人物や天使の存在を教義内に持つ後発宗教(など)が存在しているが、イスラム教における解釈と同様、肯定的な扱いと否定的な扱いとが同居している。 その他 [ ] イギリス・ケンブリッジの聖書研究所「ティンダルハウス」が2017年11月15日、最新版のギリシャ語新約聖書を出版した。 現存する英語の新約聖書のほとんどは、1975年版のギリシャ語本文が使われており、当時入手可能だった写本を編さんしたものが底本になっている。 しかし、ティンダルハウスによる最新版のギリシャ語新約聖書では、1975年以降に発見された複数の古代写本の断片も取り入れられている。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 、『イスラム教入門』、、• 聖書に相当するものであり、現在読まれているものとは異なる。 で、旧約聖書に収められているは「タウラー」、は「ザブール」、新約聖書に収められているは「インジール」と呼ばれる。 ただし、クルアーンが優越すると考えられており、内容に𪗱𪘚がある場合はクルアーンの記述が優先される• 2018年8月2日閲覧。 の出典:• の出典:• の出典:• の出典:、• (2002年)『カトリック教会のカテキズム』30頁、• 『カトリック大辞典 III』(798頁「トリエント公会議」、編纂、冨山房、昭和42年第七刷)• 『日本聖公会 祈祷書』教会問答7番、260頁、管区事務所、1991年6月20日、第1版• 『』びぶりや書房(現)、。 『ギネス世界記録2004(日本語版)』クレア・フォルカード(編)、ポプラ社、2004年、165頁。 『ギネス世界記録2015(日本語版)』クレイグ・グレンディ(編)、角川アスキー総合研究所、2014年、172頁。 ラッセル・アッシュ『世界なんでもトップテン』日本語版(三省堂、)、p. (プレゼンテーションファイル)• 日本語版1999年度版• 2005年7月22日号• フランシスコ会聖書研究所『聖書 原文校訂による口語訳』403ページの注• 参考文献 [ ]• 鈴木範久『聖書の日本語 翻訳の歴史』岩波書店、2006年2月。 橋本 功・八木橋宏勇『聖書と比喩 : メタファで旧約聖書の世界を知る』慶應義塾大学出版会、2011年1月。 『死ぬまでに一度は読んでおきたい聖書入門』かんき出版、2011年12月。。 関連項目 [ ]• 聖書校訂版• ヒエロニムス訳• 活版印刷で、歴史に残る、価値のある物。 カトリック教会の伝統的な英語訳聖書• ギリシャ語公認本文• 校訂版• ドイツ語• - 聖書ダコ(Bible Bump)とも呼ばれる。 外部リンク [ ] ウィキソースに の日本語訳があります。 ウィキクォートに に関する引用句集があります。 :新約聖書の日本語訳が読める。 - の。 翻訳、1954年• 翻訳、1955年• - (2015年9月22日アーカイブ分)•

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教典(きょうてん)とは

キリスト 教 教典

キリスト教も仏教もそれぞれ宗派がありますが、キリスト教は宗派が違っても聖書とゆう同じ教典がありますが、仏教は宗派ごとに教典があるように思えます。 法事などに参加しても、父方のお経と母方のお経が違うし知人のところのお経もまた違うお経です。 宗教に無知なぼくから見れば、キリストの教えが聖書。 では釈迦の教えはどれ?となって考えが飛躍して仏教はバラバラの教典をよりどころにしているから、仏教とゆうひとくくりの表現は間違いではないかと思ってしまいます。 教えてほしいことは、キリスト教の教典は各宗派とも同じ聖書を教典としているのでしょうか。 それと、仏教には何々経、何々経といろいろなお経がありますが、全て釈迦が教えたお経なのでしょうか。 そしてどのお経が釈迦の教えの真髄なのでしょうか。 教えてください キリスト教の新約聖書は,キリストの著作ではありません。 また,仏教の各種経典も,釈迦の著作ではありません。 キリストも釈迦も教えを文字に表しませんでした。 ですので、いずれもそれぞれの方が亡くなられてから相当年月が経ったのちに,弟子達によって編纂されたものです。 キリストが教えを説いたのは約3年。 対して,釈迦が教えを説いたのは約40年。 全ての経典が,釈迦が話したことを忠実に記載されている訳ではなく,他の宗教を取り込んだり,当時の社会情勢に応じて変化し,書き加えられたり,新たな経典が作られたりしました。 一般的に法華経は,釈迦が晩年に説いた教えだと言われていますが,その法華経の一部を釈迦は空中で説法したことになっています。 新約聖書でさえも,長い年月の間に,書き換えたり,書き加えられたり,省かれたりしています。 仏教各宗派の宗祖が,たくさんの経典の中から,「これが一番の経典だ!」と選び出した経典が異なっており,「大日経だ」と言った方もいれば,「阿弥陀経だ」と言った方もおり,「法華経だ」と言った方もおられた訳です。 どれが真髄なのかは,凡夫の私にはわかりません。 >仏教の長い歴史で誰が仏に成れたのでしょうか? 狭義の「仏」になったのは,現在のところ,釈迦が最後で,次に仏になるのは弥勒菩薩さんだそうです。 zxc78910さん 当方は大学時代に宗教を哲学の中で研究しました。 日本の大学ではありません。 ですから、日本で「宗教に凝っている」と言う感覚ではありませんのでまずお断りしておきます。 弟子が聞いたことをそれぞれ書き残しています。 そのためにたくさんの、口伝・経典があります。 新約聖書は、マタイ伝やマルク伝などの口伝と、キリストの弟子たちの各地の教会への指示、そしてヨハネの黙示録など27文書を10世紀頃バチカンのキリスト教会が自分たちの都合の良いようにまとめたものです。 このまとめた口伝以外に価値を見出し、いろいろな宗派が発生しました。 それらの多くは異端とされ、時の権力と結びつき、滅ばされました。 もちろん主流派はプロテスタントとカソリックです。 この二つの違いは、プロテスタント:キリスト教のよりどころは新約聖書にある。 カソリック:キリスト教のよりどころはバチカン教国にある(非常に乱暴ですが、誤解を恐れず言い切ります。 ) といったところでしょうか。 ですからキリスト教は元々新約聖書を唯一の経典にしているわけではないということです。 キリスト教は新約聖書と旧約聖書の二つの聖書をもって経典としています。 ご存知とは思いますが、ユダヤ教は旧約聖書とモーゼの十戒、イスラム教は旧約聖書とコーランとを持っています。 当時は荒唐無稽な数量や、理解不能な事が説かれていますので、一般人には理解しがたく、そのために、念仏を闇雲に唱えれば、極楽にいけるといった大衆にわかりやすい仏教にしました。 (大乗仏教) しかし科学が進むにつれ、仏教の宇宙観は宇宙の広さや、星の数など驚くほど最新の研究と近いことがわかってきました。 また、宇宙の法則とされる、「輪廻」この世の全ては生命体である。 全ての生命は生まれ変わる。 ということはあの世のことを言っていることと思われがちですが、そうではありません。 動物が死んで土に返り、その栄養が植物を育て、その植物を食べた動物が成長して子供を生む。 といった自然のサイクルのことを言っているのです。 生命とは何でしょうか?宇宙の法則、地球が太陽の周りを回る、一定周期で。 太陽も宇宙の膨張で動いています。 一定の速度で。 宇宙には人間がどうしようもない法則があります。 これから解き放たれたる事を「解脱」と言います。 詳しくは研究してみてください。 非常に奥が深いと思います。 新約聖書の思想は、簡単に言うと唯一絶対の神にゆだねれば救われる。 いう哲学的には幼稚な思想といえるかもしれません。 ただし、科学者の多くが言われるように、この宇宙は非常にうまく精緻に出来ていて、絶対的な創造主の存在を感じざるを得ません。 現代最先端の科学者の多くが敬虔なキリスト教信者なのはそのためかもしれません。 双方の共通点、相違点、世界観を易しく教えていただき ありがとうございました 哲学的には仏法が奥深く、キリスト教は幼稚な思想である。 こう言いきられるのは、宗教を深く探求された見識からと思います。 doors9999さんは「宗教に凝っている」感覚ではないとのことですが、宗教を信じる派か信じない派かどちら側におられるのでしょうか。 ぼくは人生に宗教が必要かどうかよく解りません。 西洋も東洋も、死後には何かが有るから生きてるときはきをつけろ!とゆうところが共通点にみえます。 もう一つの共通点は、死後の説明が納得できないことです。 哲学は人の死の真相をどのように捉えているのか教えていただければと思います。 まずキリスト教について。 そもそも2000年前(新約)、またはさらに前の文書(旧約)なので、写本のかずも半端ではありません。 これらの写本を勘案してどうもこういうものらしい、というのがさらに翻訳されて読まれているわけで、同じというと語弊があるが違うというとそれもなあ、という状態ではないでしょうか。 また日本語訳に限ってみても、新共同訳、共同訳、口語訳、文語訳、新改訳、フランシスコ会訳(新約のみ)、岩波書店のもの、ほかに個人訳などをいれれば膨大な訳があるわけで、これら一部でも読み比べてみれば結構重要な違いがあるようにも見受けられるのですが。 ただ、この訳の違いで宗派がわかれているということはありません。 まあどの訳、あるいはどの写本の系統を重視するか、というのは宗派によって一定の傾向はあるようにも思えるのですがね。 一方仏教の場合大事なのは成仏、つまり仏になる、ということで原理的に人間誰でもそれどころかすべての生き物が仏になりうる、と考えているわけです。 そのために役立つのならば経典ていうものは本当はなんでもいいわけです。 ただ、ほんとに役に立つのか、というのが問題で、「この経典以外は役に立たない」という宗派もあり、逆に経典よりも行が大切と考える宗派などもあります。 つまるところキリスト教と仏教では経典の重要さそのものが違います。 この辺は正典宗教とそうでないものの違いなんじゃないでしょうか。 仏教は全体としては正典宗教ではありません。 (そうでない宗派はありますが) イスラームとキリスト教は正典宗教です。 この違いをもって宗教の価値を考えるのは必ずしも正しくないんじゃないでしょうか。 キリスト教に関して言えば、初代キリスト教(キリストの弟子といわれる12人からはじまってパウロに引き継がれていく)の教団が成立して依頼、正統と異端の線引きが引かれていく歴史があります。 そのなかで聖書の成立事態がこの初代キリスト教団の成立以降ですし、パウロのことばを中心にしている点で、この聖書の原典に関する正統と異端の歴史もまたあります。 また、キリスト教では、翻訳されたものも聖典とみなされているため、各国語訳(すでにラテン語訳の時点で)さまざまな教義を背景にした訳が出されています。 現代は、共同訳といって各教団が歩み寄る運動がさかんですが、まだ、独自の聖書を使っている教団もたくさんあります。 ですからイチガイに一つの経典とはいえないところもあるとおもいます。 参考までにお聞き下さい。 確かに仏教は色々な宗派があります。 経典ということですが、ブッダは王族の生まれで字などは書くことは出来ましたが、経典は残していないと思います。 キリスト教の新約聖書は弟子達がキリストの生き方を経典のようにしていますよね? 一応仏教にもブッダの生涯を記した一切教なる本があります。 私は以前ブッダの生涯を手塚治虫氏の「ブッダ」というマンガで知ったのですが、組織などを作るのを嫌う人であったようです。 弟子の中で間接的にですが、ブッダと同じ王族出身 一時的ではありましたが… のダイバダッタなる人物がいましたが、その人物は大きくなった組織をまとめあげ後継者になろうとしました。 しかし、ブッダに対するねたみからブッダの命を狙い結局自滅しました。 結局ブッダは死ぬまで自分で組織を作ろうとはしなかったようですし、教えは全て口伝えだったようです。 仏教でお経といってもそれはブッダは直接関与していないと考えます。 仏教を広く民衆に広める上でお経を利用したほうがわかりやすく浸透しやすいと開祖たちが広めたものでしょう。 教えを広める人がブッダではないという所がそもそもの原因でしょう。 人によって解釈の仕方が違った上に、広まったのも中国や韓国などを通してでしたし、実際本人に聞きたくても死んでしまっている以上聞けません。 結果自分なりに解釈し、これこそ正しい教えと信じて教祖たちは、教えの手段としてお経や座禅を広めたものと考えます。 仏教の大元の教えは、全ての生き物は宇宙で繋がっているというのが教えだったのではないかと思います。 その生き物が人間であっても動物であっても、皆命は繋がっているという考えから輪廻転生という考えが生まれたのでしょう。 そこがキリスト教との違いでもあります。 キリスト教は元々イスラム教と同じくユダヤ教から分派したものです。 キリスト教では原則的に人が死ぬと地獄か天国かに行くとされ、転生は無いとされていました。 だからこそ死ぬときに天国へ行けるように神を信じなさいとしていた訳です。 新教と旧教の違いこそあれ、基本的に死んだら天国か地獄という考え自体はほとんど変わりはないようです。 しかしかなり前の話になりますが、「死海文書」と呼ばれるキリスト教の原典とされる書物が見つかったことにより、キリスト教にも転生の考えがあったのではないかと言う意見もあるようです。 キリスト教があれだけ熱烈な支持を受けているのは、他の宗教に無い部分、生き返りがあったからです。 しかしこの書物が見つかったことによって、この考えも少し揺らいだ部分もあるかと思います。 私は基本的に何教という考えがないのですが、宗教とは何かのよりどころにするためにあると考えます。 ただ盲目的にお経なり祈りなどを繰り返しても意味はあるのか、ちょっと疑問です。 例えば科学者はすばらしい人達かもしれません。 ですが、マッドサイエンティストなどと呼ばれていた、科学教の信者の末路はいったいどういったものだったでしょうか? もし詳しくキリスト教について調べて見たいのであれば、ネット上でキリスト教なり仏教で探すと色々ヒットします。 その中で自分で納得できる考えを探すのがベストだと思います。 真髄かどうかは自分が決めるのが一番でしょう。 何だかあまり参考にならなかったでしょうか? A ベストアンサー こんばんは。 熱帯雨林は地球上で緯度が低く(=赤道に近い)年中温暖な地域、すなわち熱帯地域に形成される森林です。 つまりchichioyaさんの「ジャカルタ」というイメージは正しいです。 他にもインド南部やアフリカのギニア湾沿岸、南米のアマゾン等が挙げられますが、いずれも赤道付近に位置しています。 ところで赤道周辺は、一年を通して日射量が多い為、年中温暖となります。 すると、それによって上昇気流が生ずる為(海面の海面で温められた空気が大気中に上昇、湯気みたいなものです)、低気圧地帯となります。 この低気圧地帯を熱帯収束帯と呼びます。 この低気圧によって豊富な雨量が得られ、直下には熱帯雨林が形成される訳です。 つまり「熱帯雨林の地域で雨が多い」というよりは、赤道付近の一定地域では多くの雨が降る為、その下に熱帯雨林が広がる訳です。 >> A ベストアンサー 普通に「中学生 テスト問題 無料」のキーワードで検索なんかすると、何箇所かあるようです。 manabihiroba. ただ、学習指導要領は年によって変わる事はありますので、そちらは気にした方が良いかも。 まぁ、問題が簡単な分には支障ないでしょうし、難しければ応用問題だって話ですが。 市販の問題集の問題なんかを無断で勝手にアップロードするのは、著作権の侵害になります。 普通に「中学生 テスト問題 無料」のキーワードで検索なんかすると、何箇所かあるようです。 manabihiroba.

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キリスト教教派早わかり

キリスト 教 教典

キリスト教も仏教もそれぞれ宗派がありますが、キリスト教は宗派が違っても聖書とゆう同じ教典がありますが、仏教は宗派ごとに教典があるように思えます。 法事などに参加しても、父方のお経と母方のお経が違うし知人のところのお経もまた違うお経です。 宗教に無知なぼくから見れば、キリストの教えが聖書。 では釈迦の教えはどれ?となって考えが飛躍して仏教はバラバラの教典をよりどころにしているから、仏教とゆうひとくくりの表現は間違いではないかと思ってしまいます。 教えてほしいことは、キリスト教の教典は各宗派とも同じ聖書を教典としているのでしょうか。 それと、仏教には何々経、何々経といろいろなお経がありますが、全て釈迦が教えたお経なのでしょうか。 そしてどのお経が釈迦の教えの真髄なのでしょうか。 教えてください キリスト教の新約聖書は,キリストの著作ではありません。 また,仏教の各種経典も,釈迦の著作ではありません。 キリストも釈迦も教えを文字に表しませんでした。 ですので、いずれもそれぞれの方が亡くなられてから相当年月が経ったのちに,弟子達によって編纂されたものです。 キリストが教えを説いたのは約3年。 対して,釈迦が教えを説いたのは約40年。 全ての経典が,釈迦が話したことを忠実に記載されている訳ではなく,他の宗教を取り込んだり,当時の社会情勢に応じて変化し,書き加えられたり,新たな経典が作られたりしました。 一般的に法華経は,釈迦が晩年に説いた教えだと言われていますが,その法華経の一部を釈迦は空中で説法したことになっています。 新約聖書でさえも,長い年月の間に,書き換えたり,書き加えられたり,省かれたりしています。 仏教各宗派の宗祖が,たくさんの経典の中から,「これが一番の経典だ!」と選び出した経典が異なっており,「大日経だ」と言った方もいれば,「阿弥陀経だ」と言った方もおり,「法華経だ」と言った方もおられた訳です。 どれが真髄なのかは,凡夫の私にはわかりません。 >仏教の長い歴史で誰が仏に成れたのでしょうか? 狭義の「仏」になったのは,現在のところ,釈迦が最後で,次に仏になるのは弥勒菩薩さんだそうです。 zxc78910さん 当方は大学時代に宗教を哲学の中で研究しました。 日本の大学ではありません。 ですから、日本で「宗教に凝っている」と言う感覚ではありませんのでまずお断りしておきます。 弟子が聞いたことをそれぞれ書き残しています。 そのためにたくさんの、口伝・経典があります。 新約聖書は、マタイ伝やマルク伝などの口伝と、キリストの弟子たちの各地の教会への指示、そしてヨハネの黙示録など27文書を10世紀頃バチカンのキリスト教会が自分たちの都合の良いようにまとめたものです。 このまとめた口伝以外に価値を見出し、いろいろな宗派が発生しました。 それらの多くは異端とされ、時の権力と結びつき、滅ばされました。 もちろん主流派はプロテスタントとカソリックです。 この二つの違いは、プロテスタント:キリスト教のよりどころは新約聖書にある。 カソリック:キリスト教のよりどころはバチカン教国にある(非常に乱暴ですが、誤解を恐れず言い切ります。 ) といったところでしょうか。 ですからキリスト教は元々新約聖書を唯一の経典にしているわけではないということです。 キリスト教は新約聖書と旧約聖書の二つの聖書をもって経典としています。 ご存知とは思いますが、ユダヤ教は旧約聖書とモーゼの十戒、イスラム教は旧約聖書とコーランとを持っています。 当時は荒唐無稽な数量や、理解不能な事が説かれていますので、一般人には理解しがたく、そのために、念仏を闇雲に唱えれば、極楽にいけるといった大衆にわかりやすい仏教にしました。 (大乗仏教) しかし科学が進むにつれ、仏教の宇宙観は宇宙の広さや、星の数など驚くほど最新の研究と近いことがわかってきました。 また、宇宙の法則とされる、「輪廻」この世の全ては生命体である。 全ての生命は生まれ変わる。 ということはあの世のことを言っていることと思われがちですが、そうではありません。 動物が死んで土に返り、その栄養が植物を育て、その植物を食べた動物が成長して子供を生む。 といった自然のサイクルのことを言っているのです。 生命とは何でしょうか?宇宙の法則、地球が太陽の周りを回る、一定周期で。 太陽も宇宙の膨張で動いています。 一定の速度で。 宇宙には人間がどうしようもない法則があります。 これから解き放たれたる事を「解脱」と言います。 詳しくは研究してみてください。 非常に奥が深いと思います。 新約聖書の思想は、簡単に言うと唯一絶対の神にゆだねれば救われる。 いう哲学的には幼稚な思想といえるかもしれません。 ただし、科学者の多くが言われるように、この宇宙は非常にうまく精緻に出来ていて、絶対的な創造主の存在を感じざるを得ません。 現代最先端の科学者の多くが敬虔なキリスト教信者なのはそのためかもしれません。 双方の共通点、相違点、世界観を易しく教えていただき ありがとうございました 哲学的には仏法が奥深く、キリスト教は幼稚な思想である。 こう言いきられるのは、宗教を深く探求された見識からと思います。 doors9999さんは「宗教に凝っている」感覚ではないとのことですが、宗教を信じる派か信じない派かどちら側におられるのでしょうか。 ぼくは人生に宗教が必要かどうかよく解りません。 西洋も東洋も、死後には何かが有るから生きてるときはきをつけろ!とゆうところが共通点にみえます。 もう一つの共通点は、死後の説明が納得できないことです。 哲学は人の死の真相をどのように捉えているのか教えていただければと思います。 まずキリスト教について。 そもそも2000年前(新約)、またはさらに前の文書(旧約)なので、写本のかずも半端ではありません。 これらの写本を勘案してどうもこういうものらしい、というのがさらに翻訳されて読まれているわけで、同じというと語弊があるが違うというとそれもなあ、という状態ではないでしょうか。 また日本語訳に限ってみても、新共同訳、共同訳、口語訳、文語訳、新改訳、フランシスコ会訳(新約のみ)、岩波書店のもの、ほかに個人訳などをいれれば膨大な訳があるわけで、これら一部でも読み比べてみれば結構重要な違いがあるようにも見受けられるのですが。 ただ、この訳の違いで宗派がわかれているということはありません。 まあどの訳、あるいはどの写本の系統を重視するか、というのは宗派によって一定の傾向はあるようにも思えるのですがね。 一方仏教の場合大事なのは成仏、つまり仏になる、ということで原理的に人間誰でもそれどころかすべての生き物が仏になりうる、と考えているわけです。 そのために役立つのならば経典ていうものは本当はなんでもいいわけです。 ただ、ほんとに役に立つのか、というのが問題で、「この経典以外は役に立たない」という宗派もあり、逆に経典よりも行が大切と考える宗派などもあります。 つまるところキリスト教と仏教では経典の重要さそのものが違います。 この辺は正典宗教とそうでないものの違いなんじゃないでしょうか。 仏教は全体としては正典宗教ではありません。 (そうでない宗派はありますが) イスラームとキリスト教は正典宗教です。 この違いをもって宗教の価値を考えるのは必ずしも正しくないんじゃないでしょうか。 キリスト教に関して言えば、初代キリスト教(キリストの弟子といわれる12人からはじまってパウロに引き継がれていく)の教団が成立して依頼、正統と異端の線引きが引かれていく歴史があります。 そのなかで聖書の成立事態がこの初代キリスト教団の成立以降ですし、パウロのことばを中心にしている点で、この聖書の原典に関する正統と異端の歴史もまたあります。 また、キリスト教では、翻訳されたものも聖典とみなされているため、各国語訳(すでにラテン語訳の時点で)さまざまな教義を背景にした訳が出されています。 現代は、共同訳といって各教団が歩み寄る運動がさかんですが、まだ、独自の聖書を使っている教団もたくさんあります。 ですからイチガイに一つの経典とはいえないところもあるとおもいます。 参考までにお聞き下さい。 確かに仏教は色々な宗派があります。 経典ということですが、ブッダは王族の生まれで字などは書くことは出来ましたが、経典は残していないと思います。 キリスト教の新約聖書は弟子達がキリストの生き方を経典のようにしていますよね? 一応仏教にもブッダの生涯を記した一切教なる本があります。 私は以前ブッダの生涯を手塚治虫氏の「ブッダ」というマンガで知ったのですが、組織などを作るのを嫌う人であったようです。 弟子の中で間接的にですが、ブッダと同じ王族出身 一時的ではありましたが… のダイバダッタなる人物がいましたが、その人物は大きくなった組織をまとめあげ後継者になろうとしました。 しかし、ブッダに対するねたみからブッダの命を狙い結局自滅しました。 結局ブッダは死ぬまで自分で組織を作ろうとはしなかったようですし、教えは全て口伝えだったようです。 仏教でお経といってもそれはブッダは直接関与していないと考えます。 仏教を広く民衆に広める上でお経を利用したほうがわかりやすく浸透しやすいと開祖たちが広めたものでしょう。 教えを広める人がブッダではないという所がそもそもの原因でしょう。 人によって解釈の仕方が違った上に、広まったのも中国や韓国などを通してでしたし、実際本人に聞きたくても死んでしまっている以上聞けません。 結果自分なりに解釈し、これこそ正しい教えと信じて教祖たちは、教えの手段としてお経や座禅を広めたものと考えます。 仏教の大元の教えは、全ての生き物は宇宙で繋がっているというのが教えだったのではないかと思います。 その生き物が人間であっても動物であっても、皆命は繋がっているという考えから輪廻転生という考えが生まれたのでしょう。 そこがキリスト教との違いでもあります。 キリスト教は元々イスラム教と同じくユダヤ教から分派したものです。 キリスト教では原則的に人が死ぬと地獄か天国かに行くとされ、転生は無いとされていました。 だからこそ死ぬときに天国へ行けるように神を信じなさいとしていた訳です。 新教と旧教の違いこそあれ、基本的に死んだら天国か地獄という考え自体はほとんど変わりはないようです。 しかしかなり前の話になりますが、「死海文書」と呼ばれるキリスト教の原典とされる書物が見つかったことにより、キリスト教にも転生の考えがあったのではないかと言う意見もあるようです。 キリスト教があれだけ熱烈な支持を受けているのは、他の宗教に無い部分、生き返りがあったからです。 しかしこの書物が見つかったことによって、この考えも少し揺らいだ部分もあるかと思います。 私は基本的に何教という考えがないのですが、宗教とは何かのよりどころにするためにあると考えます。 ただ盲目的にお経なり祈りなどを繰り返しても意味はあるのか、ちょっと疑問です。 例えば科学者はすばらしい人達かもしれません。 ですが、マッドサイエンティストなどと呼ばれていた、科学教の信者の末路はいったいどういったものだったでしょうか? もし詳しくキリスト教について調べて見たいのであれば、ネット上でキリスト教なり仏教で探すと色々ヒットします。 その中で自分で納得できる考えを探すのがベストだと思います。 真髄かどうかは自分が決めるのが一番でしょう。 何だかあまり参考にならなかったでしょうか? A ベストアンサー こんばんは。 熱帯雨林は地球上で緯度が低く(=赤道に近い)年中温暖な地域、すなわち熱帯地域に形成される森林です。 つまりchichioyaさんの「ジャカルタ」というイメージは正しいです。 他にもインド南部やアフリカのギニア湾沿岸、南米のアマゾン等が挙げられますが、いずれも赤道付近に位置しています。 ところで赤道周辺は、一年を通して日射量が多い為、年中温暖となります。 すると、それによって上昇気流が生ずる為(海面の海面で温められた空気が大気中に上昇、湯気みたいなものです)、低気圧地帯となります。 この低気圧地帯を熱帯収束帯と呼びます。 この低気圧によって豊富な雨量が得られ、直下には熱帯雨林が形成される訳です。 つまり「熱帯雨林の地域で雨が多い」というよりは、赤道付近の一定地域では多くの雨が降る為、その下に熱帯雨林が広がる訳です。 >> A ベストアンサー 普通に「中学生 テスト問題 無料」のキーワードで検索なんかすると、何箇所かあるようです。 manabihiroba. ただ、学習指導要領は年によって変わる事はありますので、そちらは気にした方が良いかも。 まぁ、問題が簡単な分には支障ないでしょうし、難しければ応用問題だって話ですが。 市販の問題集の問題なんかを無断で勝手にアップロードするのは、著作権の侵害になります。 普通に「中学生 テスト問題 無料」のキーワードで検索なんかすると、何箇所かあるようです。 manabihiroba.

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