ブラームス ピアノ。 ブラームス:《ピアノのための6つの小品》 Op.118

ブラームス ピアノ協奏曲2番「頭のなかの♪おたまじゃくし」〜クラシック音楽を聴いてみよう〜

ブラームス ピアノ

音楽・音声外部リンク 全曲を試聴する - リーズ・ドゥ・ラ・サール(ピアノ)、アンドレス・オロスコ=エストラーダ指揮hr交響楽団による演奏。 hr交響楽団公式YouTube。 ピアノ協奏曲第1番 ニ短調15は、の初期の代表的作品の一つで、最初に作曲された。 としても『』の次に書き上げられ、に完成された。 1 d-Moll op. 15()• 作曲時期:から。 初演:ににて、作曲者ブラームス自身の独奏ピアノ、のによる。 完成当時は評価が芳しくなかった。 ハノーファー初演は一応成功したものの、5日後の初演が行われたとき、聴衆は退屈のあまりに非難の野次を飛ばしたという。 ブラームスはヨアヒムに宛てて「僕はただわが道を行くだけです」と書き送ったが、悲しげに「それにつけても野次の多さよ! 」と付け加えている。 作曲の経緯 [ ] ブラームスは最初からを書こうとしたわけではなく、紆余曲折を経て完成している。 元々は1854年3月に3楽章構成の『のための』として書き上げられたものが原型である。 しかしブラームスはと何度か試奏してピアノという形に不満を抱きはじめ、1854年の7月にはに書き直そうと考えてに取りかかったが、この作業にも行き詰まってしまう。 だが1855年2月に協奏曲にしたらとひらめいたことで 現在のスタイルの外形が出来上がった。 ただしこの時点では、第2楽章は最終的なものとは別()だった。 さらに、クララ・シューマンや親友のの助言を受け、彼らが納得いくまでブラームスは改訂を加えている。 クララによれば第1楽章は1856年10月1日に完成、そしてブラームスの私信によればフィナーレは12月、そして新たに書き出した第2楽章は1857年1月に完成している。 特徴 [ ] 初期のによると同じように、懊悩と煩悶、激情といった、後年のブラームス作品には見られない表情が顕著である。 ことこの曲については作曲時期にブラームスが内面の危機を抱えていた事が大きい。 に恩人が他界し、残された私信などから、その頃のブラームスは未亡人となったクララに恋愛感情を抱いていた可能性が考えられる。 また、初演当時まだ25歳という若さもあってか、冒険的な要素も多い。 例えば伝統的な協奏ソナタの主題提示と異なり、第1楽章の第2主題はピアノにより提示されることや、のによる協奏曲のように、を独奏楽器の単なる伴奏として扱うのではなく、独奏楽器と効果的に対話させてシンフォニックな融合を目指したことなどが挙げられる。 ただしブラームスの努力は本作では完全には実現されず、かなり後のやにおいて具現化された。 古典的な3楽章構成を取ってはいるものの、全体の長さ、特に第1楽章が協奏曲の一般的な概念から考えてもいささか長大であったり 、当初から「ピアノ助奏つきの交響曲だ」という指摘が多かったように、同時代の同ジャンルの曲に比べて内容が重くピアノが目立たないというのも異例だった。 また、成熟期の作品に比べるとまだが未熟で、とりわけ楽器間のバランスに問題があるなどの欠点を抱えた作品である。 しかし、先述のようなブラームスの初期作品ならではの情熱的な表現をはじめとする、管弦楽法の未熟度などの欠点を補って余りある魅力に加え、作曲様式においては(クララ・シューマンなどのアドバイスも相俟って)非常に練れた作品であり、時が経つにつれて作品の評価も高まっていった。 現在ではその壮大な的な構想や、見栄えのするピアノの超絶技巧、初期作品ならではの情熱的で気魄に富んだ表現などから、ブラームスの初期の代表作として認知されている。 楽器法 [ ] 「ピアノ助奏つきの交響曲」との評価はあるものの、後年のに比べれば、ピアニストの腕を見せる技巧的なパッセージも少なくない。 レパートリーにしているピアニストも多いが、ブラームス自身がかなり卓越したピアニストであったため、技術的には難しい部類に入る。 特に第1楽章の『ブラームスのトリル』と呼ばれる、右手の親指と薬指で、小指で一つ上の音を続けて演奏するが有名。 この部分は特に薬指と小指を酷使するため、左右の手で交互にオクターヴを弾くピアニストもいる。 オーケストラについては、ブラームスの楽器の好み、とりわけやへの興味が早くも現われているが、どちらのパートも演奏が難しいために悪名高い(レパートリーの多いでさえ録音を残していない)。 編成 [ ] 、2、2、2、2、2、4、、 演奏時間 [ ] 当時の協奏曲としては非常に長く、50分にも及ぶ長大なものである。 第1楽章:20 - 25分• 第2楽章:15 - 18分• 第3楽章:11 - 14分 楽章構成 [ ] 以下の楽章より構成されている。 第1楽章 Maestoso 4分の6拍子。 Allegroなどの速度標語を使わず、Maestoso 堂々と、威厳をもって とのみ書かれており、極めて珍しい。 第1主題はのとニ短調のオーケストラの和音に乗ってで始まる。 経過句になってようやくニ短調となるが、このような出だしの調性をぼかす手法はブラームスの作品にたびたび登場する。 の副主題を経て、風にピアノ独奏が始まる。 第2主題はでピアノ独奏が提示する。 展開部では主に第1主題が取り上げられ、定石とは異なりで第1主題が再現され、主調に転ずる。 副主題、第2主題再現を経て副主題の音価を短くした激しいコーダで締めくくられる。 は置かれていない。 第2楽章 Adagio 4分の6拍子。 とによる、下降音形の主部に対して、中間部はピアノによる強奏がコントラストをなす。 曲の最後に短いカデンツァがある。 なお、で祈祷文の一節『』が引用されており、これはシューマンの死後の平安を祈ったものとも、夫を喪ったクララ・シューマンの悲しみを慰めようとしたものとも伝えられる。 ブラームスはクララへの手紙の中で、この楽章を新たに書き起こしたことについて「あなたの穏やかな肖像画を描きたいと思って書いた」と述べている。 第3楽章 Rondo: Allegro non troppo ニ短調~ニ長調 2分の2拍子 バロック風のピアノによるロンド主題を中心とした。 ABACABの形をとる。 2つの副主題はロンド主題が派生したものと考えられる。 中間部では副主題によるが展開される。 ロンド主題の再現後、2つのカデンツァがあり、最初のカデンツァでニ長調になり、ロンド主題がテンポを緩めて再現した後、第2カデンツァを経てPiu animatoとなり、華麗に曲を結ぶ。 脚注 [ ].

次の

「円熟のブラームスのピアノ作品」

ブラームス ピアノ

ブラームス:ピアノ協奏曲第2番、ベートーヴェン:熱情 スヴィヤトスラフ・リヒテル リヒテル最初のアメリカ・ツアーの際にRCAレーベルでおこなわれたセッション録音の組み合わせ。 ラインスドルフ指揮するシカゴ交響楽団と共演したブラームスのピアノ協奏曲第2番は、もともとはライナーが指揮する予定だったものですが、リヒテルとライナーのそりが合わず、ラインスドルフが急遽代役を務めることになったというもの。 背景はともかく演奏の方は見事なもので、当時のリヒテルの豪快なピアノを的確にサポートするラインスドルフの指揮はさすがです。 組み合わせのベートーヴェンの熱情ソナタは、かつて長きに渡ってこの曲の代表盤とされた緊迫感と迫力のあるもので、特に終楽章での高揚感には素晴らしいものがあります。 HMV 【収録情報】 1. ブラームス:ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 op. 83 2. ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調 op. メーカー資料より 高校時代に初めて買ったLPがこのブラームス。 すでに1枚1300円の廉価盤でした。 だからというわけではないのですが、極めて愛着のある一枚です。 私がこれまでに聴いた中でも、ギレリス/ライナー盤、フライシャー/セル盤と最上位を争う名演奏です。 リヒテルのピアノは上出来ですが、それよりもこの盤でとにもかくにも素晴らしいのは、ラインスドルフのバックです。 当初ライナーとの共演の予定が、そりがあわず、急遽ラインスドルフに交代したとか。 リヒテルのピアノを最大限に生かしながら、すべてを自分の掌中に収め、実に堂々たる音楽を築き上げているのは立派。 一流の芸術家の仕事です。 この盤についてラインスドルフの伴奏を非難するコメントを他のカップリングの盤で見かけましたが、逆にラインスドルフでなければなしえない、緻密でありながらのびやかな演奏がこれなのです。 この曲に関しては、ギレリスがライナーと、リヒテルがラインスドルフと、それぞれアメリカで見事な演奏を残しながら、のちにヨーロッパで再録音したものが指揮者に恵まれない(ヨッフムはギレリスを鈍重な伴奏で押し潰し、マゼールは弛緩した演奏にリヒテルを巻き込んだ)というのも共通しているのは、何かの因縁でしょうか。 「熱情」ソナタも悪くありませんが、当盤でまず聴くべきはラインスドルフの見事な「技」です。

次の

「円熟のブラームスのピアノ作品」

ブラームス ピアノ

オーケストラによる主題提示部、ベルリンフィル(BPh)はの頃より重厚な音色に変化しており、それ自体は良いのだが、アバドのレガートがかけられた指揮が縦の線を曖昧にしており今一つ。 ポリーニのピアノはと言えば、一応彼らしい鋭角的な演奏が聴かれる。 しかしと比べると音色の艶やかさが違い、速いパッセージで一音一音が粒立たないのも彼らしくない。 第2楽章:中の速。 アバドの指揮、ポリーニのピアノ共にやや先を急ぐ感があって、呼吸が浅く感じられる。 楽章の特性からピアノ技巧の低下は感じにくいのが救いであるが、後半のクライマックスなどで音が塊になってしまうのを聴くと少し悲しくなる。 第3楽章:中。 ここでもピアノは普通の出来であって、79年盤のような光り輝くような演奏を聴くことはできない。 アバドもそつなく演奏しているとは言えるも、ベームの念押しの入った重みのある演奏の方が好ましく思える。 総評:ポリーニは基本的にとスタイルは変えていないと思われる。 抒情性を排し純粋にピアノの音色、曲の構造を聴かせる主義のようだ。 しかし79年盤で聴かれたような大理石を思わせる磨き抜かれた音色や、いかなる時も音が綺麗に分離して聞こえる彼の美点が、この演奏では聴くことが出来ない。 やはり良く指摘されるように、1980年台半ばを境にポリーニの超絶的技巧は影を潜めてしまったようである。 特に欠点がある演奏ではないけれども他を超越した長所がないというのは、とりもなおさず普通の演奏になってしまっていると言うこと。 その点、老年期を迎えて主義をやや変えてブラームスらしい重厚さに振った演奏のの方がまだ説得力がある。 に比べてアバドとBPhのオーケストラがむしろ下回る出来であることも考え合わせると、再録音の意義がなかったと思わざるを得ない。 そのアバドとBPhであるが、秀演レベルは保っていると思う。 これといった欠点がある訳ではない。 ポリーニとの息も合っている。 しかしベームの重厚な演奏、のスケール感ある演奏に比べると無個性と感じてしまう。 演奏者名を伏せて聴いたとすれば、普通の演奏であり、オーケストラの音色も良い。 中の上ぐらいの評価は出来るだろう。 しかしこれはポリーニの演奏であり、同じ方向性を目指していながら79年盤を下回る出来と言うことを考えると、秀演以上の評価は出せない。 冒頭のオーケストラは厚みが凄いが、高音にやや偏った音響のためか、華やかさはあっても重厚さはあまり感じられない。 この当時(1986年)のベルリンフィル(BPh)はまだカラヤン時代であり、その影響だろう。 ブレンデルのピアノはすっきりした美しさとスケール感を聴かせつつ、軽妙さも合わせ持つように思われる。 が力の限りに迫力満点で弾く部分でも、ブレンデルは穏やかにさらりと弾いてみせる、それが矮小にならないのが非凡だと思う。 また、恣意的な表情付けや節回しなどはなく、それでいて十分個性的であるのも特記される。 第2楽章:中。 透明感あるピアノの音色で派手さはないが雰囲気のある演奏である。 少々派手なBPhの音色とややミスマッチの感はあるもアバドが良くコントロールしており、全体的には良い印象である。 第3楽章:中。 ブレンデルのピアノが軽妙自在で、重くなく軽すぎないのが特徴的である。 ストレスなく先へ進む感じで聴いていて心地良い。 ツィマーマンのように迫力と推進力に満ちあふれた演奏とは対極にあるようだが、これはこれで個性的で良い。 総評:ブラームスの二曲のピアノ協奏曲はいずれも名曲であるが、作曲年代に大きな隔たりがあり、曲の性格もかなり異なる。 名ピアニストと言われる演奏家にとっても二曲共に名演を残すのはかなり難しいようである。 ブレンデルはその点非常に正直なピアニストであり、1番は得意、2番は苦手と表明している(この演奏の後、2番も計画されていたにもかかわらず一旦拒否、何と5年後に一応録音するもその直後に2番はレパートリーから外すと明言)。 その得意な1番であるが、いわゆるブラームスらしい重厚長大な演奏ではなく、軽妙洒脱なスタイルなのが特徴であった。 軽すぎることはなく十分なスケール感もあるのだが、所々で意外な柔らかさ軽さを聴かせる。 こういう演奏もまた良しと思われた。 本演奏のBPhはまだカラヤン時代の最後期であって、派手な音色である。 ただそれをあまり意識させないようなアバドの指揮があるので、さほど目立たない。 反面個性に欠けるオーケストラとも言えそうである。 総合的には秀演から名演の境界という印象。 ややおまけして名演へ。 ベームの指揮とウィーンフィル(WPh)が期待通り素晴らしい。 念押しが入る重厚な指揮であるがリズムは保っており、WPhの柔らかさのためもあって剛直過ぎることがない。 ffに変わるところでも驚かすような音響ではなく自然に重々しく出るのが秀逸である。 ポリーニは明確なタッチで正確無比なのがまず安心感をもたらす。 妙な表情付けは一切なく硬質な音色で弾き切っている。 速めで表現がやや硬いので情感には少々物足りなさを覚えるのも事実であるが、このクールな表情がポリーニの特徴であり美点でもあるのだ。 第2楽章:中。 オーケストラが過度の情感を排しながらも曲の沈鬱な美しさを丁度良く表現している。 ポリーニのピアノも良く合っていて、叙情的な演奏ではなくひんやりした美しさが個性的である。 第3楽章:中。 ベームとWPhによる陰影のある美しさがとても良い。 一方ポリーニは完璧な技巧で弾いているのは良いとして、この人にしては珍しく溜や表情付けが聞かれるのが意外であった。 楽章全体からするとごく一部ではあるが、これはあまり感心しない。 それ以外では力強さと音色の美しさ、申し分ないテクニックが聴かれ、満足度は高い。 コーダはやや減速した後軽く加速して雄大に集結する。 総評:やはりベームとWPhのコンビによる協奏曲はいずれもとても良い。 本演奏でも重厚な美しさを存分に聴かせてくれる。 ポリーニはと言えば、相性という面で多少に及ばない所もありそうだし、終楽章でらしくない表情付けがあるのも気になるのだが、全体的には彼らしいクールで切れのある演奏を聴くことが出来る。 総合的にほぼ期待通りの演奏と言えるが、微妙に特薦には及ばない。 それにしてもこの組み合わせで2番を録音してほしかったとつくづく思う。 圧倒的な名演になっていただろう。 ベルリンフィル(BPh)の重厚な音色にまず圧倒される。 再現部での低弦の魅力ときたら尋常ではない。 首席指揮者にラトルが就任して1年余の時点であるが既にアバド時代の軽薄な音色は払拭されているようだ。 ラトルの指揮はバーミンガム市響及びアンスネスと組んだとは打って変わってブラームスの構造性や重さ暗さを表現している。 テンポ変動は抑えられており、正攻法なスタイルである。 ツィマーマンのピアノは相変わらず厚みがある上に美しい。 最強音でも濁らず迫力が増すのは凄いと思う。 ただそこかしこでテンポを自在に変動させて表情付けを行うのはいただけない。 これだけの音色と技巧を持っているのだから自然に弾くだけで良いのに。 コーダでの迫力はピアノ、オーケストラ共に凄みがある。 第2楽章:中の遅。 BPhの厚みがある弱音が絶品である。 トゥッティの迫力だけでなく、こういった所がこのオーケストラの素晴らしいところだ。 カラヤン時代からの良き伝統だと思う。 ツィマーマンのピアノも暗く沈む美しさを存分に描き出している。 この楽章では表情過多の悪癖も目立たない。 第3楽章:この楽章でもラトルとBPhによるシンフォニックな響き、深く厚みのある音色は申し分ない。 またそのBPhと堂々と渡り合えるツィマーマンも驚異的である。 美しい音色は保ちながらこれだけの迫力を聞かせるのは他のピアニストではちょっと望めないのではないか。 総評:全体として非常に強く迫力のある演奏というのが第一印象である。 無論第2楽章のようにオーケストラの弱音の素晴らしさやピアノの美しい音色も聞き所ではあるけれども、雄大さ、強さが上回るように思う。 特筆すべきはラトルのオーソドックスかつ硬軟自在な指揮ぶりである。 時として意図的な表情付けが多くなる指揮者であるが、ここでは正攻法での曲作りを極めている。 一方第1楽章で表情付けが多めであったツィマーマンであるが、ラトルの正統派的演奏に触発されたのか、第2、終楽章では作為的な表情付けも影を潜め正攻法のスタイルとなっている。 その結果、美音と強靱なタッチによる迫力が両立している長所が引き立つことになっている。 加えてBPhの精緻かつ迫力満点の演奏も極上の録音でしっかり捉えられている。 ラトルとバーミンガム市響の若々しく切れの良いオーケストラ・パートが印象的である。 整ったアンサンブルのためか重厚さはあまりなく、透明感のある音色である。 ディナーミクの変化は大きく、聴かせどころを良く捉えていると思えた。 アンスネスのピアノはクリアな音色であり、強奏部分でも迫力よりすっきりした佇まいを感じさせる。 所々でフレーズの終わりをやや引っ張るのが少し個性的。 第2楽章:中やや遅。 ピアノ、オーケストラ共に澄んだ音色で重くない演奏を聴かせる。 アンスネスとラトルの目指す方向性が良く一致していると思われる。 中間部も重くならず端正である。 第3楽章:中やや速。 他のピアニストが腰を落として重厚に弾くところも端正にインテンポで進むのが若々しい印象を与える。 ラトルとバーミンガム市響の均整かつ勢いのある演奏も素晴らしく、ピアノによく合っている。 ややテンポを落とし終結。 総評:アンスネス27歳、ラトル42歳の時の演奏である。 ブラームスが20歳代で作曲したこの曲を、その若さに相応しい瑞々しい演奏で聴かせてくれる。 重厚さやドイツ的荘重さという面は全くないが、このアプローチは新鮮であり非常に良いと感じた。 の演奏のまさに対極にあたる。 どちらのスタイルでも良い曲として聴けるのは、さすが名曲である。 冒頭は遅く開始される。 ネルソンスは初めて聴くが、バイエルン放送響の厚い音色を生かした重厚な演奏となっている。 のような念押しは聞かれず、素直な演奏であると言える。 さてグリモーのピアノであるが、より細かいところでアクセントや加減速の表情が多彩になっているものの、過剰な表現にはなっておらず好ましい範囲内での表現力と言える。 とにかく力強い打鍵と深みのある音色がブラームスにぴったりである。 グリモーの満を持しての再録音であることや、ピアノを強調気味に捉えた録音のためもあってか、ピアノ主導の演奏に聞こえる。 ブラームスの意図したピアノ付き交響曲という性格は弱まっているようであるが、こういう演奏があっても良いと思う。 ただ別の見方をすれば、オーケストラがやや控えめ過ぎると言えるかも知れない。 第2楽章:中の遅。 バイエルン放送響の低弦が豊かな響きを聞かせる。 実に深みのある良い演奏である。 ピアノもロマンの香り漂う彫りの深い表現である。 スケール感も申し分ない。 これは名演。 第3楽章:中。 再びピアノ主導の演奏となっている。 力強さと推進力を兼ね備えていると思える。 僅かにアクセント過多に聞こえるけれども、十分正攻法な部類に入ると思う。 この楽章でもバイエルン放送響の音色、演奏精度は特筆されるべきものである。 総評:上述の通り、この曲にしては少々珍しくピアノ主体の演奏である。 しかし違和感はない。 ではザンデルリンクの重厚、ドイツ的演奏に合わせて、オーケストラの一パートのように弾いていたグリモーであるが、この新盤では自分の意図した通りの演奏になっているようだ。 全体に力強く重厚なピアノが素晴らしいし、第2、3楽章ではバイエルン放送響がまた絶品である。 旧盤とは別の魅力があると思う。 ティーレマンの指揮は大きくゆったり演奏するところと、快速でリズミカルに刻む所がはっきりしている。 ピアノが主題を弾き始めてからは中やや速となる。 さてポリーニのピアノであるが、69歳になったのだから変貌しても当然なのだが、彼らしい超絶技巧や固く艶やかな音色が影を潜め、やや暖かいおおらかな演奏で通しているのには驚いた。 巷で言われるような技巧の衰えとは感じられず、円熟に感じられる。 表現は中庸で正攻法。 第2楽章:中。 演奏時間は他のどの演奏よりも短いが、全く速いとは感じられない。 シュターツカペレ・ドレスデン(SKD)の深みのある音色と、深くよく響くポリーニのピアノが奥行きのある音楽を形作っている。 これは名演。 第3楽章:中。 冒頭のロンド主題を、滑らかに音を重ねて弾いているのは他では聴いたことがない表現であり個性的。 ポリーニらしくない気もするが。 以後はティーレマンの充実した指揮に乗って、ポリーニも深みのある音色でしっかり弾いている。 ティーレマンとSKDについて言えば、中間部における情感、オーケストラの音色の美しさは絶品と言える。 コーダは遅く、雄大である。 総評:名演である。 曲の最初はティーレマンの悪癖でテンポを動かしすぎているかな、と感じたものの、その後は腰を落ち着けてブラームスに相応しく正攻法にて演奏している。 スケールの大きさと随所に聴かれる音色の素晴らしさ、そしてポリーニのピアノソロへの絶妙なサポート。 この演奏の良さはかなりティーレマンの功績といえるだろう。 一方ポリーニはというと、流石に70歳目前ということで40歳代頃の圧倒的な技巧と冷徹な表情は今回聴かれない。 音色としても若い頃の方が私は好きである。 ただ恣意的な表情付けを極力排し、正攻法でしっかりとピアノを響かせているのは好感が持てる。 第2、終楽章ではティーレマンに乗せられてか曲に没入して弾いている。 余談であるが、高齢になってからのポリーニの顔は最高である。 若い頃の芸術家らしく繊細な顔つきから、実に良い顔に変貌してきたものである。 こんな良い顔をした人が弾く演奏が悪い筈がない、そう思えるほどである。 本演奏のCDジャケット写真でも、若いティーレマンともどもとても素敵な笑顔で写っている。 ヨッフムは遅めのテンポでがっしりした曲を構成している。 彼の指揮でよく聴かれるテンポの変動は目立たない。 ベルリンフィル(BPh)も硬派の音色で良い。 ただ曲の入りの4分間が遅すぎてやや間が持たないのは残念な感じ。 さてギレリスのピアノであるが、予想以上に正統的な演奏であった。 独自の表情付けや個性的な節回しなどは聴かれない。 音色は強靭さを感じさせるものであるけれども、のように魂に響くような重さは持たない。 演奏スタイルとしては中庸を行くものと言えるだろう。 それにしても少々おとなしすぎるように思える。 第2楽章:中の遅。 やはりインテンポで遅い演奏となっている。 ギレリスも正攻法の演奏を繰り広げており、後半は劇的である。 第3楽章:中。 ギレリスのピアノがいつになくおとなしく、乗って行けていない。 ヨッフムの指揮も妙に穏やかである。 楽想にちょっと合っていないように思う。 その割に第1副主題部は速め(ほどではないが)。 後半からは気合が入ってきたか、力が篭ってくるが、それでも期待したほどではない。 総評:昔から名演との評価が高い。 実際聴いてみて欠点があまりなく、遅めの中庸の演奏と感じた。 しかしながら何か物足りなさを覚えるのは何故だろうか。 もちろん終楽章の出来が今一なのがひとつ大きな要素である。 ただそれ以外にも微妙に違和感があるのだ。 思うに、ギレリスに対する期待要素と、演奏スタイル、演奏速度などが僅かずつずれているのだろう。 即ち、聴く側は迫力ある演奏を期待しているのに中庸のスタイルであることや、ギレリスとヨッフムなら速めのテンポ変動を伴った劇的演奏を予想するのに、実際は遅めのインテンポ演奏であることなどである。 要するに、中庸の演奏という意味ならの方が徹底しているし、迫力ある男性的な演奏ならが、そして遅い重厚な演奏ならがある訳で、本演奏の中途半端さが目立ってしまうのだと思う。 セルの切れのある演奏がまず心地良い。 ゼルキンのピアノも同一ベクトル上にあるもので、やや速めで甘さのない演奏がぴったりである。 ただフレーズの終わりをすぱっと断ち切るように弾くところがあり、余韻に乏しい感じも否めない。 それでも2番の第1楽章ほどは目立たないし、引き替えに力強さがあるのでそれほど欠点にはならない。 ただ展開部の入りだけは速すぎて軽い。 セルとゼルキンの息の合い方は素晴らしいもので、打てば響くというのはこういうものかと思える。 コーダは速く白熱する。 第2楽章:一転して中やや遅で演奏される。 やはり甘い演奏ではなく、大聖堂の澄んだ空気を連想させるような構造性と音色である。 純度の高さが気品を感じさせるのだろう。 中間部はスケールが大きい。 第3楽章:中の速。 端正ながら力強くどんどん曲が進む印象である。 ゼルキン、セルの本質に曲がよく合っているのだろう。 ゼルキンの粒だって澄んだ音色が演奏スタイルにぴったりである。 しかし主要主題部は素晴らしいのだが、個人的には二つの副主題部がやや速いように感じる。 ここは遅めの方が好み。 総評:ゼルキンはセルとのコンビでこの1番と2番を2年間に相次いで録音した(2番が先)。 ブラームスのピアノ協奏曲は二曲とも評価が高い曲であるが、完成年に24年もの隔たりがあり、曲想もかなり異なる。 従ってこの性格の異なる二曲を両方弾きこなすのはかなり困難なようだ。 どちらかしか録音していないピアニストもあるし、両方録音していても片方にしか名演を残していない場合も多い。 その傾向が顕著なのがブレンデルであり、第1番を好むものの2番は自分に合わないと言い切っている。 さてそこでゼルキンはどうかというと、私は第1番の方が名演であると思う。 言い換えればゼルキンに合っているのは1番の方ではないかと思うのである。 世評でも大体において1番の方が高評価であるようだ。 もっとも2番のほうがより良いと感じる人もいるようで、人それぞれなのであるが。 ゼルキン、セル共、演奏自体は甘さや遊びの要素が殆どなく、厳しさ、格調の高さが特徴であるようだ。 演奏速度は速めながら納得できる速度設定である。 従来の評判通り名演と思うけれども、所々で速すぎることが少々引っ掛かるので第一推薦盤にはならない。 【名演】• 12 archives• 24 recent comment•

次の