みょう こう 艦長。 イージス艦初「女性艦長」に大谷三穂1等海佐が着任! 夕刊フジ「ぴいぷる」にも登場

大谷三穂

みょう こう 艦長

日本海で北朝鮮の弾道ミサイル警戒などにあたる海上自衛隊のイージス艦「みょうこう」(基準排水量7250トン、乗組員約300人)の艦長に2日、大谷三穂・1等海佐(48)が着任した。 海自で女性がイージス艦長を務めるのは初めて。 京都府舞鶴市の北吸岸壁に停泊中の「みょうこう」で着任行事があった。 小型ボートで艦に乗り込み、乗組員らに出迎えられた大谷艦長は、訓示で「乗員という『家族』と、(さらに乗員)みなの家族という大所帯を背負っていくことになる。 艦長として身をていして大家族を守っていく決意だ」とあいさつした。 終了後、報道陣の取材に応じ、イージス艦の任務について「厳しい任務と理解しているが、不安はない。 与えられた任務をまっとうしたい」と述べた。 自衛隊での女性の役割について「今後女性が増えていくと思うが、いかに定着してくれるか。 結婚や出産などのライフイベントを抱えながら、いかに女性が活躍できるかが課題だ」と述べた。 大谷艦長は大阪府吹田市出身。

次の

My memoirs「あんなことこんなこと」: イージス艦「みょうこう」艦長に女性初の艦長就任

みょう こう 艦長

大谷 三穂 生誕 1971-05-28 (49歳) 所属組織 軍歴 1996年(平成8年) - 最終階級 大谷 三穂(おおたに みほ、(昭和46年) - )はので、初の女性と艦長を歴任。 女子第1期生(第40期)。 2019年12月時点での階級は。 経歴 [ ] 出身。 に進学するが、2年生のとき、大学の下宿先でのニュースを見て「愛国心を覚え」、防衛大学校への進学を決意する。 家族の反対を押し切り、(平成4年)4月、女子1期生として入学した。 1学年時は航空要員を希望していたが、に配属され、最初の勤務は練習艦「」。 その後、防衛大学校の指導教官やなどの勤務を経て、(平成23年)4月、当時練習艦だった「」の副長に就任した。 (平成20年)に護衛艦への女性の配置制限が撤廃された後、(平成24年)3月に「あさぎり」が護衛艦籍に復帰したことに伴い、女性初の護衛艦副長となる。 (平成25年)3月には練習艦「」艦長に就任し、と同時に海上自衛隊女性初の練習艦艦長となった。 (平成28年)2月には「」艦長に就任し、女性初の護衛艦艦長となった。 (平成29年)7月1日、1等海佐昇任。 (平成30年)3月23日、海幕厚生課厚生班長。 2019年(令和元年)12月2日に「」艦長に着任し、女性初の艦長となった。 現在は夫 再婚 と娘の3人家族である。 関連項目 [ ]• - 自衛隊初の女性戦闘機パイロット• 澤村満称子 - 自衛隊初の女性連隊長• 橋場麗奈 - 自衛隊初の女性空挺団員 脚注 [ ]• 産経WEST. 2013年3月11日. 2017年2月1日閲覧。 2013年3月22日. の2013年3月27日時点におけるアーカイブ。 2017年1月8日閲覧。 2013年6月9日. 2017年1月8日閲覧。 2016年7月18日. 2017年1月8日閲覧。 ZAKZAK(夕刊フジ) 2016年6月23日. 2017年1月8日閲覧。 2019年12月2日. 2019年12月3日閲覧。 この項目は、 に関連した です。 などしてくださる(、)。

次の

My memoirs「あんなことこんなこと」: イージス艦「みょうこう」艦長に女性初の艦長就任

みょう こう 艦長

大谷三穂1等海佐の経歴やプロフと出身校は? 大谷三穂1等海佐の経歴 略歴 は以下の通り。 龍谷大学文学部を中退し、1992年4月、女子1期生として防衛大学に入学。 海上自衛隊に配属され、最初の勤務は練習艦「なつぐも」。 2009~2011年まで指導教官で教鞭を取ったほか勤務海上幕僚監部では制度班として女性自衛官の勤務にかかわる施策を担当。 2011年4月、当時練習艦だった「あさぎり」の副長に就任。 2012年3月に女性初の護衛艦「副長 ナンバー2 」となる。 2013年3月に 練習艦「しまゆき」艦長に就任。 海上自衛隊女性初の練習艦艦長に。 2016年2月 護衛艦「やまぎり」艦長に就任、女性初の護衛艦艦長に。 2017年7月1日、 1等海佐に昇任。 2018年3月23日、海幕厚生課厚生班長に。 2019年12月2日女性艦長として初めてイージス艦「みょうこう 護衛艦 」の艦長に着任。 出典: 大谷美穂1等海佐プロフィール 出典: 氏名:大谷 三穂 おおたに みほ 生年月日:1971年(昭和46年)5月28日生まれ 48歳 学歴:龍谷大学文学部を中退・防衛大学女性1期生卒業 家庭:同期の男性と30歳の時に結婚 その後8年目で離婚 ・翌年長女を出産。 実家の祖父母の元で育ち、大谷さんが戻ることができるのは年に3~4回、1~2日のみだった。 「艦長になるため」娘にも伝え納得してもらうも、愛娘と涙の再開と別れを繰り返し「本当に私たち親子はこれでいいのかと自問を繰り返した」ことも 出典:出典:。 一般大学 龍谷大学 2年生のときに中退し、 「女性らしく育ってほしい」と望んだ両親の反対を押し切り防大に進んだ。 なぜか-。 「親のスネをかじっての大学生活は一人暮らしで楽しく、ぬるま湯。 でも、テレビの向こうでは戦争という別世界だった。 こんなことで良いのかと、衝撃を受けた。 以前より、 国に奉仕する仕事をしたかったのは確かだが、 湾岸戦争の映像で愛国心を覚えた」 ー30歳で結婚し、32歳で(一人)娘を出産する。 「どうしようかと思った。 けれども、艦長への夢を諦められなかった」 艦長を目指し、訓練・座学に明け暮れる毎日。 娘を大阪府内の実家に預け、年に3~4回、1~2日帰省して顔を見た。 おばあちゃん子、おじいちゃん子の悪い方の面が出るのではと心配する大谷さんに、母親は「肝心なときには、やっぱりママ、ママなのよ」となぐさめたが「悲しかった」。 「こんなに背が高かった? 毎日一緒にいられぬ境遇とは、こういうことなの…。 いろいろな思いが駆け巡り、 本当に私たち親子はこれでいいのかと自問を繰り返した」 涙の再会と別れの繰り返し。 悩むのはまな娘のこと。 でも、癒やされるのもまな娘だった。 出典: イージス艦「みょうこう」での職務とは イージス艦「みょうこう」は乗員約300人で、弾道ミサイルの迎撃を担う「国の命を預かる」前線に位置。 日米共同訓練でも使われるなど、国防の要となる戦艦とも言えます。 艦長の職務については詳しい情報は得られなかったものの、男性と同じだけの体力を求められ、さらに300名近い部下を抱え指揮していくのが「みょうこう」の艦長。 これまで以上に責務は重いものになると見られます。 2016年の「やまぎり」艦長就任時には、 220人もの部下の顔/名前/配置を、1カ月強で覚えており、艦内の重鎮に対しても毅然とした態度で臨み、風通しがよく、部下が信頼できる職場環境のために奔走していました。 女性初の護衛艦艦長は 荷が重く、失敗すれば、後に続く女性自衛艦に迷惑がかかる」と、緊張の連続だ。 「自ら部下の懐に入っていく。 昔の艦長はドーンと座って、部下は艦長の背中を見て判断し、育っていった。 今の若い人は、情報社会の中で多様な価値観を持つ。 こっちに向けと言っても、向かぬこともある。 話題を合わせる積極性も必要だ。 例えば、私自身ゲームはしなくても『どんなゲームをするの?』などと、話しかけています」 2月下旬の艦長就任以来、220人もの部下の顔/名前/配置を、1カ月強で覚えたのも《一源三流》に忠実だった証左に違いあるまい。 出典:.

次の