とのむらみきママすた。 その他グルメ

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とのむらみきママすた

其一 木理 ( もくめ ) 美 ( うるは )しき 槻胴 ( けやきどう )、縁にはわざと赤樫を用ひたる 岩畳 ( がんでふ )作りの長火鉢に対ひて話し 敵 ( がたき )もなく唯一人、少しは淋しさうに坐り居る三十前後の女、男のやうに立派な眉を 何日 ( いつ )掃ひしか剃つたる痕の青 と、見る眼も覚むべき雨後の山の色をとゞめて 翠 ( みどり )の ひ一 トしほ床しく、鼻筋つんと通り眼尻キリヽと上り、洗ひ髪をぐる/\と 酷 ( むご )く 丸 ( まろ )めて引裂紙をあしらひに 一本簪 ( いつぽんざし )でぐいと留めを刺した色気無の様はつくれど、憎いほど 烏黒 ( まつくろ )にて艶ある髪の毛の一 ト 綜 ( ふさ )二綜後れ乱れて、浅黒いながら渋気の抜けたる顔にかゝれる趣きは、年増嫌ひでも褒めずには置かれまじき 風体 ( ふうてい )、我がものならば着せてやりたい好みのあるにと 好色漢 ( しれもの )が随分頼まれもせぬ詮議を蔭では為べきに、さりとは 外見 ( みえ )を捨てゝ堅義を自慢にした身の 装 ( つく )り方、柄の 選択 ( えらみ )こそ野暮ならね高が 二子 ( ふたこ )の綿入れに繻子襟かけたを着て何所に紅くさいところもなく、引つ掛けた ねんねこばかりは 往時 ( むかし )何なりしやら 疎 ( あら )い縞の糸織なれど、此とて幾度か水を潜つて来た奴なるべし。 今しも台所にては 下婢 ( おさん )が 器物 ( もの )洗ふ音ばかりして家内静かに、他には人ある様子もなく、何心なくいたづらに黒文字を 舌端 ( したさき )で 嬲 ( なぶ )り 躍 ( おど )らせなどして居し女、ぷつりと其を噛み切つてぷいと吹き飛ばし、火鉢の灰かきならし炭火体よく 埋 ( い )け、芋籠より 小巾 ( こぎれ )とり出し、銀ほど光れる長五徳を磨き おとしを拭き銅壺の蓋まで奇麗にして、さて 南部霰地 ( なんぶあられ )の大鉄瓶を 正然 ( ちやんと )かけし後、石尊様詣りのついでに箱根へ寄つて来しものが姉御へ 御土産 ( おみや )と呉れたらしき寄木細工の 小纎麗 ( こぎよう )なる煙草箱を、右の手に持た 鼈甲管 ( べつかふらお )の 煙管 ( きせる )で引き寄せ、長閑に一服吸ふて線香の烟るやうに 緩 ( ゆる/\ )と烟りを 噴 ( は )き出し、思はず知らず 太息 ( ためいき )吐いて、多分は 良人 ( うち )の手に入るであらうが憎い のつそりめが 対 ( むか )ふへ廻り、去年使ふてやつた恩も忘れ上人様に胡麻摺り込んで、 強 ( たつ )て 此度 ( こんど )の仕事を 為 ( せ )うと身の分も知らずに願ひを上げたとやら、清吉の話しでは上人様に 依怙贔屓 ( えこひいき )の 御情 ( おこゝろ )はあつても、名さへ響かぬのつそりに 大切 ( だいじ )の仕事を任せらるゝ事は檀家方の手前寄進者方の手前も難しからうなれば、大丈夫 此方 ( こち )に 命 ( いひつ )けらるゝに極つたこと、よしまたのつそりに命けらるればとて 彼奴 ( あれめ )に出来る仕事でもなく、彼奴の下に立つて働く者もあるまいなれば見事 出来 ( でか )し損ずるは眼に見えたこととのよしなれど、早く 良人 ( うちのひと )が愈 御用 命 ( いひつ )かつたと笑ひ顔して帰つて来られゝばよい、類の少い仕事だけに是非為て見たい受け合つて見たい、慾徳は何でも関はぬ、 谷中 ( やなか ) 感応寺 ( かんおうじ )の五重塔は川越の源太が作り居つた、嗚呼よく出来した感心なと云はれて見たいと面白がつて、 何日 ( いつ )になく 職業 ( しやうばい )に気のはづみを打つて居らるゝに、若し此仕事を他に奪られたら何のやうに腹を立てらるゝか肝癪を起さるゝか知れず、それも道理であつて見れば 傍 ( わき )から妾の慰めやうも無い訳、嗚呼何にせよ目出度う早く帰つて来られゝばよいと、口には出さねど女房気質、今朝 背面 ( うしろ )から我が縫ひし羽織打ち掛け着せて出したる男の上を気遣ふところへ、表の骨太格子手あらく開けて、姉御、兄貴は、なに感応寺へ、仕方が無い、それでは姉御に、済みませんが御頼み申します、つい 昨晩 ( ゆうべ ) 酔 ( へゞ )まして、と後は云はず異な手つきをして話せば、眉頭に皺をよせて笑ひながら、仕方のないも無いもの、少し締まるがよい、と云ひ/\立つて 幾干 ( いくら )かの金を渡せば、其をもつて門口に出で何やら 諄 ( くど/\ )押問答せし末 此方 ( こなた )に来りて、拳骨で額を抑へ、 何 ( どう )も済みませんでした、ありがたうござりまする、と無骨な礼を為たるも 可笑 ( をかし )。 其二 火は別にとらぬから 此方 ( こち )へ寄るがよい、と云ひながら重げに鉄瓶を取り下して、 属輩 ( めした )にも如才なく愛嬌を汲んで 与 ( や )る桜湯一杯、心に花のある 待遇 ( あしらひ )は口に言葉の仇繁きより懐かしきに、悪い 請求 ( たのみ )をさへすらりと聴て呉れし上、胸に 蟠屈 ( わだかま )りなく 淡然 ( さつぱり )と 平日 ( つね )のごとく 仕做 ( しな )されては、清吉却つて 心羞 ( うらはづ )かしく、 何 ( どう )やら 魂魄 ( たましひ )の底の方がむづ痒いやうに覚えられ、茶碗取る手もおづ/\として進みかぬるばかり、済みませぬといふ 辞誼 ( じぎ )を二度ほど繰返せし後、漸く乾き切つたる舌を湿す間もあらせず、今頃の帰りとは余り可愛がられ過ぎたの、ホヽ、遊ぶはよけれど 職業 ( しごと )の 間 ( ま )を欠いて 母親 ( おふくろ )に心配さするやうでは、男振が悪いではないか清吉、 汝 ( そなた )は此頃仲町の甲州屋様の御本宅の仕事が済むと直に根岸の御別荘の御茶席の方へ廻らせられて居るではないか、 良人 ( うち )のも遊ぶは随分好で汝達の先に立つて騒ぐは毎 なれど、 職業 ( しごと )を 粗略 ( おろそか )にするは大の嫌ひ、今若し汝の顔でも見たらば又例の青筋を立つるに定つて居るを知らぬでもあるまいに、さあ少し遅くはなつたれど 母親 ( おふくろ )の持病が起つたとか何とか方便は幾干でもつくべし、早う根岸へ行くがよい、 五三 ( ごさ )様も 了 ( わか )つた人なれば一日をふてゝ 怠惰 ( なまけ )ぬに免じて、見透かしても旦那の前は 庇護 ( かば )ふて呉るゝであらう、おゝ朝飯がまだらしい、三や何でもよいほどに御膳を其方へこしらへよ、湯豆腐に 蛤鍋 ( はまなべ )とは行かぬが新漬に煮豆でも構はぬはのう、二三杯かつこんで直と仕事に走りやれ走りやれ、ホヽ睡くても昨夜をおもへば 堪忍 ( がまん )の成らうに精を惜むな辛防せよ、よいは弁当も松に持たせて遣るは、と苦くはなけれど 効験 ( きゝめ )ある薬の行きとゞいた意見に、汗を出して身の不始末を 慚 ( は )づる正直者の清吉。 姉御、では御厄介になつて直に仕事に突走ります、と鷲掴みにした手拭で額拭き/\勝手の方に立つたかとおもへば、 既 ( もう )ざら/\ざらつと口の中へ打込む如く茶漬飯五六杯、早くも食ふて了つて出て来り、左様なら行つてまゐります、と肩ぐるみに頭をついと一ツ下げて 煙草管 ( きせる )を収め、壺屋の 煙草入 ( りやうさげ )三尺帯に、さすがは気早き江戸ッ子気質、草履つつかけ門口出づる、途端に今まで黙つて居たりし女は急に呼びとめて、此二三日に のつそり 奴 ( め )に逢ふたか、と石から飛んで火の出し如く声を 迸 ( はし )らし問ひかくれば、清吉ふりむいて、逢ひました逢ひました、しかも昨日御殿坂で例ののつそりがひとしほのつそりと、往生した 鶏 ( とり )のやうにぐたりと首を垂れながら 歩行 ( ある )いて居るを見かけましたが、今度此方の棟梁の 対岸 ( むかう )に立つてのつそりの癖に及びも無い望みをかけ、大丈夫ではあるものゝ幾干か棟梁にも姉御にも心配をさせる其面が憎くつて面が憎くつて堪りませねば、やいのつそりめと頭から毒を浴びせて呉れましたに、彼奴の事故気がつかず、やいのつそりめ、のつそりめと三度めには傍へ行つて大声で怒鳴つて遣りましたれば漸く吃驚して 梟 ( ふくろ )に似た眼で 我 ( ひと )の顔を見詰め、あゝ清吉あーにーいかと寝惚声の挨拶、やい、 汝 ( きさま )は大分好い 男児 ( をとこ )になつたの、 紺屋 ( こうや )の干場へ夢にでも 上 ( のぼ )つたか大層高いものを立てたがつて感応寺の和尚様に胡麻を摺り込むといふ話しだが、其は正気の沙汰か寝惚けてかと 冷語 ( ひやかし )を 驀向 ( まつかう )から 与 ( や )つたところ、ハヽヽ姉御、 愚鈍 ( うすのろ )い奴といふものは正直ではありませんか、何と返事をするかとおもへば、 我 ( わし )も随分骨を折つて胡麻は摺つて居るが、源太親方を対岸に立てゝ居るので 何 ( どう )も胡麻が摺りづらくて困る、親方がのつそり 汝 ( きさま ) 為 ( やつ )て見ろよと譲つて呉れゝば好いけれどものうとの馬鹿に虫の好い答へ、ハヽヽ憶ひ出しても、心配相に大真面目くさく云つた其面が可笑くて堪りませぬ、余り可笑いので 憎気 ( にくつけ )も無くなり、 箆棒 ( べらぼう )めと云ひ捨てに別れましたが。 其限 ( それぎ )りか。 然 ( へい )。 左様かへ、さあ遅くなる、関はずに行くがよい。 左様ならと清吉は 自己 ( おの )が仕事におもむきける、後はひとりで物思ひ、 戸外 ( おもて )では無心の 児童 ( こども )達が 独楽戦 ( こまあて )の遊びに声 喧しく、一人殺しぢや二人殺しぢや、 醜態 ( ざま )を見よ 讐 ( かたき )をとつたぞと 号 ( わめ )きちらす。 おもへばこれも順 競争 ( がたき )の世の 状 ( さま )なり。 其四 当時に 有名 ( なうて )の番匠川越の源太が受負ひて作りなしたる谷中感応寺の、何処に一つ批点を打つべきところ有らう筈なく、五十畳敷 格天井 ( がうてんじやう )の本堂、橋をあざむく長き廻廊、 幾部 ( いくつ )かの客殿、大和尚が 居室 ( ゐま )、茶室、学徒 所化 ( しよけ )の居るべきところ、 庫裡 ( くり )、浴室、玄関まで、或は荘厳を尽し或は堅固を極め、或は清らかに或は 寂 ( さ )びて各 其宜しきに適ひ、結構少しも申し分なし。 そも/\微 たる旧基を振ひて 箇程 ( かほど )の大寺を成せるは誰ぞ。 法諱 ( おんな )を聞けば其頃の 三歳児 ( みつご )も合掌礼拝すべきほど世に知られたる宇陀の朗圓上人とて、早くより身延の山に螢雪の苦学を積まれ、中ごろ六十余州に雲水の修行をかさね、 毘婆舎那 ( びばしやな )の三行に 寂静 ( じやくじやう )の 慧劒 ( ゑけん )を 礪 ( と )ぎ、四種の 悉檀 ( しつたん )に済度の法音を響かせられたる七十有余の老和尚、骨は俗界の 葷羶 ( くんせん )を避くるによつて鶴の如くに痩せ、 眼 ( まなこ )は人世の紛紜に厭きて半睡れるが如く、固より 壊空 ( ゑくう )の理を 諦 ( たい )して意欲の 火炎 ( ほのほ )を胸に揚げらるゝこともなく、 涅槃 ( ねはん )の真を 会 ( ゑ )して執着の 彩色 ( いろ )に心を染まさるゝことも無ければ、堂塔を興し伽藍を立てんと望まれしにもあらざれど、徳を慕ひ風を仰いで寄り来る学徒のいと多くて、其等のものが雨露凌がん 便宜 ( たより )も 旧 ( もと )のまゝにては無くなりしまゝ、猶少し堂の広くもあれかしなんど 独語 ( つぶや )かれしが根となりて、道徳高き上人の新に規模を大うして寺を建てんと云ひ玉ふぞと、此事八方に 伝播 ( ひろま )れば、中には徒弟の 怜悧 ( りこう )なるが自ら奮つて四方に馳せ感応寺建立に寄附を勧めて 行 ( ある )くもあり、働き顔に上人の高徳を 演 ( の )べ説き聞かし富豪を 慫慂 ( すゝ )めて喜捨せしむる信徒もあり、さなきだに 平素 ( ひごろ )より随喜渇仰の思ひを運べるもの雲霞の如きに此勢をもつてしたれば、上諸侯より下町人まで先を争ひ財を投じて、我一番に 福田 ( ふくでん )へ種子を投じて後の世を 安楽 ( やす )くせんと、富者は黄金白銀を貧者は百銅二百銅を分に応じて寄進せしにぞ、 百川 ( ひやくせん )海に入るごとく瞬く 間 ( ひま )に金銭の驚かるゝほど集りけるが、それより世才に 長 ( た )けたるものの世話人となり用人なり、万事万端執り行ふて 頓 ( やが )て立派に成就しけるとは、聞いてさへ小気味のよき話なり。 然るに 悉皆 ( しつかい )成就の暁、用人頭の爲右衞門普請諸入用諸雑費一切しめくゝり、 手脱 ( てぬか )る事なく決算したるに尚大金の 剰 ( あま )れるあり。 此をば如何になすべきと役僧の圓道もろとも、髪ある頭に髪無き頭突き合はせて相談したれど別に殊勝なる分別も出でず、田地を買はんか畠買はんか、田も畠も余るほど寄附のあれば今更また此浄財を其様な事に費すにも及ばじと思案にあまして、面倒なり 好 ( よき )に計らへと皺枯れたる御声にて云ひたまはんは知れてあれど、恐る/\圓道或時、思さるゝ 用途 ( みち )もやと伺ひしに、塔を建てよと唯一言云はれし 限 ( ぎ )り振り向きも為たまはず、鼈甲縁の大きなる眼鏡の中より微なる眼の光りを放たれて、何の経やら論やらを黙 と読み続けられけるが、いよ/\塔の建つに定つて例の源太に、積り書出せと圓道が 命令 ( いひつ )けしを、知つてか知らずに 歟 ( か )上人様に御目通り願ひたしと、のつそりが来しは今より二月程前なりし。 其五 紺とはいへど汗に褪め風に 化 ( かは )りて異な色になりし上、幾度か洗ひ 濯 ( すゝ )がれたるため其としも見えず、襟の 記印 ( しるし )の字さへ朧気となりし絆纏を着て、 補綴 ( つぎ )のあたりし古股引を穿きたる男の、髪は 塵埃 ( ほこり )に 塗 ( まみ )れて白け、面は日に焼けて 品格 ( ひん )なき 風采 ( やうす )の猶更品格なきが、うろ/\のそ/\と感応寺の大門を入りにかゝるを、門番尖り声で何者ぞと怪み 誰何 ( たゞ )せば、吃驚して 暫時 ( しばらく )眼を見張り、漸く腰を屈めて馬鹿丁寧に、大工の十兵衞と申しまする、御普請につきまして御願に出ました、とおづ/\云ふ 風態 ( そぶり )の何となく腑には落ちねど、大工とあるに多方源太が弟子かなんぞの使ひに来りしものならむと 推察 ( すゐ )して、通れと一言 押柄 ( あふへい )に許しける。 成程と独言しつゝ十兵衞庫裡にまはりて復案内を請へば、用人爲右衞門仔細らしき理屈顔して立出で、見なれぬ棟梁殿、 何所 ( いづく )より何の用事で見えられた、と 衣服 ( みなり )の粗末なるに 既 ( はや )侮り軽しめた言葉遣ひ、十兵衞さらに気にもとめず、 野生 ( わたくし )は大工の十兵衞と申すもの、上人様の御眼にかゝり御願ひをいたしたい事のあつてまゐりました、どうぞ御取次ぎ下されまし、と 首 ( かうべ )を低くして頼み入るに、爲右衞門ぢろりと十兵衞が垢臭き 頭上 ( あたま )より白の鼻緒の鼠色になつた草履穿き居る足先まで睨め下し、ならぬ、ならぬ、上人様は俗用に御関りはなされぬは、願といふは何か知らねど云ふて見よ、次第によりては我が取り計ふて遣る、と 然 ( さ )も/\万事心得た用人めかせる才物ぶり。 それを無頓着の男の 質朴 ( ぶきよう )にも突き放して、いゑ、ありがたうはござりますれど上人様に直 で無うては、申しても役に立ちませぬ事、何卒たゞ御取次を願ひまする、と此方の心が 醇粋 ( いつぽんぎ )なれば 先方 ( さき )の気に触る言葉とも斟酌せず推返し言へば、爲右衞門腹には我を頼まぬが憎くて 慍 ( いか )りを含み、 理 ( わけ )の解らぬ男ぢやの、上人様は 汝 ( きさま )ごとき職人等に耳は仮したまはぬといふに、取次いでも 無益 ( むやく )なれば我が計ふて得させんと、甘く 遇 ( あしら )へば附上る言分、最早何も彼も聞いてやらぬ、帰れ帰れ、と小人の 常態 ( つね )とて語気たちまち 粗暴 ( あら )くなり、 謬 ( にべ )なく言ひ捨て立んとするに 周章 ( あわ )てし十兵衞、ではござりませうなれど、と半分いふ間なく、五月蠅、喧しいと打消され、奥の方に入られて仕舞ふて 茫然 ( ぼんやり )と土間に突立つたまゝ 掌 ( て )の 裏 ( うち )の螢に 脱去 ( ぬけ )られし如き思ひをなしけるが、是非なく声をあげて復案内を乞ふに、口ある人の有りや無しや薄寒き大寺の 岑閑 ( しんかん )と、 反響 ( ひゞき )のみは我が耳に堕ち来れど 咳声 ( しはぶき )一つ聞えず、玄関にまはりて復頼むといへば、 先刻 ( さき )見たる憎気な怜悧 小僧 ( こばうず )の一寸顔出して、庫裡へ行けと教へたるに、と 独語 ( つぶや )きて早くも障子ぴしやり。 復庫裡に廻り復玄関に行き、復玄関に行き庫裡に廻り、終には遠慮を忘れて本堂にまで響く大声をあげ、頼む/\御頼申すと叫べば、 其声 ( それ )より 大 ( でか )き声を 発 ( いだ )して馬鹿めと罵りながら爲右衞門づか/\と立出で、 僮僕 ( をとこ )ども此 狂漢 ( きちがひ )を門外に引き出せ、騒 しきを嫌ひたまふ上人様に知れなば、我等が此奴のために叱らるべしとの下知、心得ましたと先刻より 僕人 ( をとこ )部屋に転がり居し 寺僕 ( をとこ )等立かゝり引き出さんとする、土間に坐り込んで出されじとする十兵衞。 それ手を取れ足を持ち上げよと多勢口 に罵り騒ぐところへ、後園の花二枝三枝 剪 ( はさ )んで床の眺めにせんと、境内彼方此方逍遥されし朗圓上人、 木蘭色 ( もくらんじき )の無垢を着て左の手に女郎花桔梗、右の手に 朱塗 ( しゆ )の把りの鋏持たせられしまゝ、図らず此所に来かゝりたまひぬ。 其六 何事に罵り騒ぐぞ、と上人が下したまふ鶴の一声の御言葉に群雀の 輩 ( ともがら )鳴りを 歇 ( とゞ )めて、振り上げし拳を 蔵 ( かく )すに 地 ( ところ )なく、禅僧の問答に有りや有りやと云ひかけしまゝ一喝されて腰の 折 ( くだ )けたる如き風情なるもあり、捲り縮めたる袖を 体裁 ( きまり )悪げに下して 狐鼠 ( こそ/\ )と人の後に隠るゝもあり。 天を仰げる鼻の孔より火烟も噴べき驕慢の怒に意気昂ぶりし爲右衞門も、少しは 慚 ( は )ぢてや首を 俛 ( た )れ 掌 ( て )を揉みながら、 自己 ( おのれ )が発頭人なるに是非なく、有し次第を我田に水引き/\申し出れば、痩せ皺びたる顔に深く長く 痕 ( つ )いたる法令の 皺溝 ( すぢ )をひとしほ深めて、につたりと 徐 ( ゆるや )かに笑ひたまひ、 婦女 ( をんな )のやうに軽く軟かな声小さく、それならば騒がずともよいこと、爲右衞門 汝 ( そなた )がたゞ 従順 ( すなほ )に取り次さへすれば仔細は無うてあらうものを、さあ十兵衞殿とやら 老衲 ( わし )について此方へ 可来 ( おいで )、とんだ気の毒な目に遇はせました、と万人に 尊敬 ( うやま )ひ慕はるゝ人は又格別の心の行き方、未学を軽んぜず下司をも侮らず、親切に 温和 ( ものやさ )しく先に立て静に導きたまふ後について、迂濶な根性にも慈悲の浸み透れば感涙とゞめあへぬ十兵衞、段 と赤土のしつとりとしたるところ、飛石の 画趣 ( ゑごゝろ )に 布 ( しか )れあるところ、梧桐の影深く四方竹の色ゆかしく茂れるところなど ( めぐ )り 繞 ( めぐ )り過ぎて、 小 ( さゝ )やかなる折戸を入れば、花も此といふはなき小庭の唯ものさびて、 有楽形 ( うらくがた )の燈籠に松の落葉の散りかゝり、 方星宿 ( はうせいしゆく )の手水鉢に苔の蒸せるが見る眼の塵をも洗ふばかりなり。 上人庭下駄脱ぎすてゝ上にあがり、さあ 汝 ( そなた )も此方へ、と云ひさして掌に持たれし花を 早速 ( さそく )に釣花活に投げこまるゝにぞ、十兵衞なか/\ 怯 ( おめ )ず臆せず、手拭で足はたくほどの事も気のつかぬ男とて為すことなく、草履脱いでのつそりと三畳台目の茶室に入りこみ、鼻突合はすまで上人に近づき坐りて黙 と一礼する態は、礼儀に 嫻 ( なら )はねど充分に 偽飾 ( いつはり )なき 情 ( こゝろ )の 真実 ( まこと )をあらはし、幾度か直にも云ひ出んとして尚開きかぬる口を漸くに開きて、舌の動きもたど/\しく、五重の塔の、御願に出ましたは五重の塔のためでござります、と藪から棒を突き出したやうに尻もつたてゝ声の調子も不揃に、辛くも胸にあることを額やら腋の下の汗と共に絞り出せば、上人おもはず笑を催され、何か知らねど 老衲 ( わし )をば怖いものなぞと思はず、遠慮を忘れて 緩 ( ゆる )りと話をするがよい、庫裡の土間に坐り込うで動かずに居た様子では、何か深う思ひ詰めて来たことであらう、さあ遠慮を捨てゝ急かずに、老衲をば 朋友 ( ともだち )同様におもふて話すがよい、と飽くまで 慈 ( やさ )しき 注意 ( こゝろぞへ )。 十兵衞脆くも梟と常 悪口受くる 銅鈴眼 ( すゞまなこ )に 既 ( はや )涙を浮めて、 唯 ( はい )、唯、唯ありがたうござりまする、思ひ詰めて 参上 ( まゐ )りました、その五重の塔を、斯様いふ野郎でござります、御覧の通り、のつそり十兵衞と口惜い 諢名 ( あだな )をつけられて居る 奴 ( やつこ )でござりまする、然し御上人様、 真実 ( ほんと )でござりまする、 工事 ( しごと )は下手ではござりませぬ、知つて居ります私しは馬鹿でござります、馬鹿にされて居ります、意気地の無い奴でござります、 虚誕 ( うそ )はなか/\申しませぬ、御上人様、大工は出来ます、 大隅流 ( おほすみりう )は 童児 ( こども )の時から、後藤立川二ツの流義も合点致して居りまする、 為 ( さ )せて、五重塔の仕事を私に為せていたゞきたい、それで 参上 ( まゐり )ました、川越の源太様が積りをしたとは五六日前聞きました、それから私は寐ませぬは、御上人様、五重塔は百年に一度一生に一度建つものではござりませぬ、恩を受けて居ります源太様の仕事を 奪 ( と )りたくはおもひませぬが、あゝ賢い人は羨ましい、一生一度百年一度の好い仕事を源太様は為るゝ、死んでも立派に名を残さるゝ、あゝ羨ましい羨ましい、大工となつて生てゐる生甲斐もあらるゝといふもの、それに引代へ此十兵衞は、 鑿 ( のみ ) 手斧 ( てうな )もつては源太様にだとて誰にだとて、打つ墨縄の曲ることはあれ万が一にも後れを取るやうな事は必ず/\無いと思へど、年が年中長屋の 羽目板 ( はめ )の繕ひやら馬小屋箱溝の数仕事、天道様が智慧といふものを 我 ( おれ )には 賜 ( くだ )さらない故仕方が無いと諦めて諦めても、 拙 ( まづ )い奴等が宮を作り堂を受負ひ、見るものの眼から見れば建てさせた人が気の毒なほどのものを 築造 ( こしら )へたを見るたびごとに、内 自分の不運を泣きますは、御上人様、時 は口惜くて 技倆 ( うで )もない癖に智慧ばかり達者な奴が憎くもなりまするは、御上人様、源太様は羨ましい、智慧も達者なれば 手腕 ( うで )も達者、あゝ羨ましい仕事をなさるか、 我 ( おれ )はよ、源太様はよ、情無い此我はよと、羨ましいがつひ 高 ( かう )じて 女房 ( かゝ )にも口きかず泣きながら寐ました其夜の事、五重塔を 汝 ( きさま )作れ今直つくれと怖しい人に 吩咐 ( いひつ )けられ、 狼狽 ( うろたへ )て飛び起きさまに道具箱へ手を突込んだは半分夢で半分 現 ( うつゝ )、眼が全く覚めて見ますれば指の先を 鐔鑿 ( つばのみ )につつかけて怪我をしながら道具箱につかまつて、何時の間にか夜具の中から出て居た詰らなさ、 行燈 ( あんどん )の前につくねんと坐つて嗚呼情無い、詰らないと思ひました時の其心持、御上人様、解りまするか、ゑゝ、解りまするか、これだけが誰にでも分つて呉れゝば塔も建てなくてもよいのです、どうせ馬鹿な のつそり十兵衞は死んでもよいのでござりまする、腰抜 鋸 ( のこ )のやうに生て居たくもないのですは、 其夜 ( それ )からといふものは 真実 ( ほんと )、真実でござりまする上人様、晴れて居る空を見ても 燈光 ( あかり )の 達 ( とゞ )かぬ 室 ( へや )の隅の暗いところを見ても、白木造りの五重の塔がぬつと突立つて私を見下して居りまするは、とう/\自分が造りたい気になつて、 到底 ( とても )及ばぬとは知りながら毎日仕事を終ると直に夜を籠めて五十分一の雛形をつくり、昨夜で丁度仕上げました、見に来て下され御上人様、頼まれもせぬ仕事は出来て仕たい仕事は出来ない口惜さ、ゑゝ不運ほど情無いものはないと 私 ( わし )が歎けば御上人様、なまじ出来ずば不運も知るまいと 女房 ( かゝ )めが 其雛形 ( それ )をば揺り動かしての述懐、無理とは聞えぬだけに余計泣きました、御上人様御慈悲に今度の五重塔は私に建てさせて下され、拝みます、こゝ此通り、と両手を合せて頭を畳に、涙は塵を浮べたり。 其七 木彫の羅漢のやうに黙 と坐りて、菩提樹の実の 珠数 ( ずゞ )繰りながら十兵衞が埓なき述懐に耳を傾け居られし上人、十兵衞が頭を下ぐるを制しとゞめて、 了解 ( わか )りました、能く合点が行きました、あゝ殊勝な心掛を持つて居らるゝ、立派な考へを蓄へてゐらるゝ、学徒どもの示しにも為たいやうな、 老衲 ( わし )も思はず涙のこぼれました、五十分一の雛形とやらも是非見にまゐりませう、然し汝に感服したればとて今直に五重の塔の 工事 ( しごと )を汝に任するはと、 軽忽 ( かるはずみ )なことを老衲の 独断 ( ひとりぎめ )で云ふ訳にもならねば、これだけは 明瞭 ( はつきり )とことわつて置きまする、いづれ頼むとも頼まぬとも其は表立つて、老衲からではなく感応寺から沙汰を為ませう、兎も角も幸ひ今日は 閑暇 ( ひま )のあれば汝が作つた雛形を見たし、案内して是より直に汝が家へ老衲を連れて行ては呉れぬか、と 毫 ( すこし )も 辺幅 ( やうだい )を飾らぬ人の、 義理 ( すぢみち )明かに言葉 渋滞 ( しぶり )なく云ひたまへば、十兵衞満面に笑を含みつゝ米 舂 ( つ )くごとく無暗に頭を下げて、 唯 ( はい )、唯、唯と答へ居りしが、願ひを御取上げ下されましたか、あゝ有難うござりまする、 野生 ( わたくし )の 宅 ( うち )へ 御来臨 ( おいで )下さりますると、あゝ勿体ない、雛形は直に野生めが持つてまゐりまする、御免下され、と云ひさま流石ののつそりも喜悦に狂して 平素 ( つね )には似ず、大袈裟に一つぽつくりと礼をばするや否や、飛石に蹴躓きながら駈け出して我家に帰り、帰つたと一言女房にも云はず、いきなりに雛形持ち出して人を頼み、二人して息せき急ぎ感応寺へと持ち込み、上人が前にさし置きて帰りけるが、上人これを 熟 ( よく ) 視 ( み )たまふに、初重より五重までの 配合 ( つりあひ )、屋根庇廂の勾配、腰の高さ、 椽木 ( たるき )の 割賦 ( わりふり )、 九輪請花露盤宝珠 ( くりんうけばなろばんはうじゆ )の体裁まで何所に 可厭 ( いや )なるところもなく、水際立つたる細工ぶり、此が彼不器用らしき男の手にて出来たるものかと疑はるゝほど 巧緻 ( たくみ )なれば、独り 私 ( ひそか )に歎じたまひて、箇程の技倆を有ちながら空しく埋もれ、名を発せず世を経るものもある事か、 傍眼 ( わきめ )にさへも気の毒なるを当人の身となりては如何に口惜きことならむ、あはれ 如是 ( かゝる )ものに成るべきならば 功名 ( てがら )を得させて、多年抱ける 心願 ( こゝろだのみ )に 負 ( そむ )かざらしめたし、草木とともに朽て行く人の身は固より 因縁仮和合 ( いんねんけわがふ )、よしや惜むとも惜みて甲斐なく止めて止まらねど、 仮令 ( たとへ )ば 木匠 ( こだくみ )の道は小なるにせよ其に一心の誠を委ね生命を懸けて、慾も 大概 ( あらまし )は忘れ 卑劣 ( きたな )き 念 ( おもひ )も起さず、唯只鑿をもつては能く 穿 ( ほ )らんことを思ひ、 鉋 ( かんな )を持つては好く削らんことを思ふ心の尊さは金にも銀にも 比 ( たぐ )へ難きを、僅に残す 便宜 ( よすが )も無くて徒らに 北 ( ほくばう )の土に 没 ( うづ )め、 冥途 ( よみぢ )の 苞 ( つと )と齎し去らしめんこと思へば 憫然 ( あはれ )至極なり、良馬 主 ( しゆう )を得ざるの悲み、高士世に容れられざるの恨みも詮ずるところは 異 ( かは )ることなし、よし/\、我図らずも十兵衞が胸に懐ける無価の宝珠の微光を認めしこそ縁なれ、 此度 ( こたび )の工事を彼に 命 ( いひつ )け、せめては少しの 報酬 ( むくい )をば彼が 誠実 ( まこと )の心に得させんと思はれけるが、不図思ひよりたまへば川越の源太も此工事を殊の外に望める上、彼には本堂 庫裏 ( くり )客殿作らせし因みもあり、然も 設計予算 ( つもりがき )まで 既 ( はや ) 做 ( な )し出して我眼に入れしも四五日前なり、 手腕 ( うで )は彼とて鈍きにあらず、人の 信用 ( うけ )は遥に十兵衞に超たり。 一ツの工事に二人の番匠、此にも為せたし彼にも為せたし、 那箇 ( いづれ )にせんと上人も流石これには迷はれける。 其八 明日辰の刻頃までに自身当寺へ来るべし、予て其方工事仰せつけられたきむね願ひたる五重塔の儀につき、上人 直接 ( ぢき )に 御話示 ( おはなし )あるべきよしなれば、衣服等失礼なきやう心得て出頭せよと、 厳格 ( おごそか )に口上を演ぶるは弁舌自慢の圓珍とて、唐辛子をむざと 嗜 ( たしな )み 食 ( くら )へる祟り鼻の 頭 ( さき )にあらはれたる 滑稽納所 ( おどけなつしよ )。 平日 ( ふだん )ならば南蛮和尚といへる諢名を呼びて戯談口きゝ合ふべき間なれど、本堂建立中朝夕顔を見しより 自然 ( おのづ )と 狎 ( な )れし馴染みも今は薄くなりたる上、使僧らしう威儀をつくろひて、人さし指中指の二本でやゝもすれば 兜背形 ( とつぱいなり )の 頭顱 ( あたま )の 頂上 ( てつぺん )を掻く癖ある手をも 法衣 ( ころも )の袖に殊勝くさく 隠蔽 ( かく )し居るに、源太も敬ひ謹んで承知の旨を頭下つゝ答へけるが、如才なきお吉は吾夫をかゝる 俗僧 ( づくにふ )にまで好く 評 ( い )はせんとてか帰り際に、出したまゝにして行く茶菓子と共に 幾干銭 ( いくら )か包み込み、是非にといふて取らせけるは、思へば怪しからぬ布施の仕様なり。 圓珍十兵衞が家にも 詣 ( いた )りて同じ事を演べ帰りけるが、 扨 ( さて )其翌日となれば源太は 鬚 ( ひげ )剃り 月代 ( さかやき )して衣服をあらため、今日こそは上人の自ら我に御用仰せつけらるゝなるべけれと勢込んで、庫裏より通り、とある一 ト間に待たされて坐を正しくし 扣 ( ひか )へける。 事の意外に十兵衞も足踏みとめて突立つたるまゝ一言もなく 白眼 ( にらみ )合ひしが、是非なく畳二ひらばかりを隔てしところに漸く坐り、力なげ首 悄然 ( しを/\ )と己れが膝に 気勢 ( いきほひ )のなきたさうなる眼を注ぎ居るに引き替へ、源太郎は 小狗 ( こいぬ )を 瞰下 ( みおろ )す 猛鷲 ( あらわし )の風に臨んで千尺の巌の上に立つ風情、腹に十分の強みを抱きて、背をも屈げねば肩をも歪めず、すつきり 端然 ( しやん )と構へたる 風姿 ( やうだい )と云ひ 面貌 ( きりやう )といひ水際立つたる男振り、万人が万人とも好かずには居られまじき天晴小気味のよき 好漢 ( をとこ )なり。 されども世俗の 見解 ( けんげ )には堕ちぬ心の明鏡に照らして彼れ此れ共に愛し、 表面 ( うはべ )の美醜に露 泥 ( なづ )まれざる上人の却つて何れをとも昨日までは択びかねられしが、思ひつかるゝことのありてか今日はわざ/\二人を招び出されて一室に待たせ置かれしが、今しも静 居間を出られ、畳踏まるゝ足も軽く、先に立つたる 小僧 ( こばうず ) [#ルビの「こばうず」は底本では「こばうす」]が襖明くる後より、すつと入りて座につきたまへば、二人は 恭 ( うやま )ひ 敬 ( つゝし )みて共に斉しく頭を下げ、少時上げも得せざりしが、嗚呼いぢらしや十兵衞が辛くも上げし面には、未だ世馴れざる里の子の貴人の前に出しやうに 羞 ( はぢ )を含みて紅 潮 ( さ )し、額の皺の幾条の溝には 沁出 ( にじみ )し 熱汗 ( あせ )を湛へ、鼻の 頭 ( さき )にも珠を湧かせば腋の下には雨なるべし。 膝に 載 ( お )きたる骨太の 掌指 ( ゆび )は枯れたる 松枝 ( まつがえ )ごとき岩畳作りにありながら、一本ごとに其さへも 戦 ( わな/\ )顫へて一心に唯上人の一言を 一期 ( いちご )の大事と待つ笑止さ。 源太も黙して言葉なく耳を澄まして命を待つ、 那方 ( どちら )を那方と判かぬる、二人の 情 ( こゝろ )を汲みて知る上人もまた中 に口を開かん 便宜 ( よすが )なく、暫時は静まりかへられしが、源太十兵衞ともに聞け、今度建つべき五重塔は唯一ツにて建てんといふは汝達二人、二人の願ひを双方とも聞き届けては遣りたけれど、其は固より叶ひがたく、一人に任さば一人の歎き、誰に定めて 命 ( いひつ )けんといふ 標準 ( きめどころ )のあるではなし、役僧用人等の分別にも及ばねば 老僧 ( わし )が分別にも及ばぬほどに、此分別は汝達の相談に任す、老僧は関はぬ、汝達の相談の纏まりたる通り取り上げて 与 ( や )るべければ、熟く家に帰つて相談して来よ、老僧が云ふべき事は是ぎりぢやによつて左様心得て帰るがよいぞ、さあ確と云ひ渡したぞ、 既早 ( もはや )帰つてもよい、然し今日は老僧も 閑暇 ( ひま )で退屈なれば茶話しの相手になつて少時居てくれ、浮世の噂なんど老衲に聞かせて呉れぬか、其代り老僧も古い話しの可笑なを二ツ三ツ昨日見出したを話して聞かさう、と笑顔やさしく、 朋友 ( ともだち )かなんぞのやうに二人をあしらふて、扨何事を云ひ出さるゝやら。 源太十兵衞二人とも顔見合せて茫然たり。 尻餅ついて驚くところを、狐 憑 ( つき )め忌 しい、と駄力ばかりは近江のお兼、顔は子供の 福笑戯 ( ふくわらひ )に眼を付け歪めた 多福面 ( おかめ )の如き房州出らしき 下婢 ( おさん )の憤怒、拳を挙げて丁と打ち 猿臂 ( ゑんぴ )を伸ばして突き飛ばせば、十兵衞 [#「十兵衞」は底本では「十衞兵」]堪らず 汚塵 ( ほこり )に 塗 ( まみ )れ、はい/\、狐に 誑 ( つま )まれました御免なされ、と云ひながら悪口雑言聞き捨に痛さを忍びて逃げ走り、漸く我家に帰りつけば、おゝ御帰りか、遅いので如何いふ事かと案じて居ました、まあ塵埃まぶれになつて 如何 ( どう )なされました、と払ひにかゝるを、構ふなと一言、気の無ささうな声で打消す。 其顔を覗き込む女房の真実心配さうなを見て、何か知らず無性に悲しくなつてぢつと 湿 ( うるみ )のさしくる眼、自分で自分を叱るやうに、ゑゝと図らず声を出し、煙草を捻つて何気なくもてなすことはもてなすものゝ言葉も無し。 平時 ( つね )に変れる 状態 ( ありさま )を大方それと 推察 ( すゐ )して扨慰むる 便 ( すべ )もなく、問ふてよきやら問はぬが可きやら心にかゝる今日の首尾をも、口には出して尋ね得ぬ女房は胸を痛めつゝ、其一本は杉箸で辛くも用を足す火箸に挟んで添へる消炭の、あはれ甲斐なき 火力 ( ちから )を頼り土瓶の茶をば 温 ( ぬく )むるところへ、遊びに出たる猪之の戻りて、やあ父様帰つて来たな、父様も建てるか坊も建てたぞ、これ見て呉れ、と 然 ( さ )も勇ましく障子を明けて褒められたさが一杯に罪無く 莞爾 ( にこり )と笑ひながら、指さし示す塔の 模形 ( まねかた )。 母は襦袢の袖を噛み声も得たてず泣き出せば、十兵衞涙に浮くばかりの 円 ( つぶら )の眼を剥き出し、 ( まじろ )ぎもせでぐいと睨めしが、おゝ 出来 ( でか )した出来した、好く出来た、褒美を与らう、ハッハヽヽと咽び笑ひの声高く屋の棟にまで響かせしが、其まゝ頭を天に対はし、嗚呼、弟とは辛いなあ。 其十一 格子開くる響爽かなること常の如く、お吉、今帰つた、と元気よげに上り来る夫の声を聞くより、心配を輪に吹き/\吸て居し 煙草管 ( きせる )を邪見至極に抛り出して忙はしく立迎へ、大層遅かつたではないか、と云ひつゝ 背面 ( うしろ )へ廻つて羽織を脱せ、立ながら 腮 ( あご )に手伝はせての袖畳み小早く 室隅 ( すみ )の方に其儘さし置き、火鉢の傍へ直また戻つて 火急 ( たちまち )鉄瓶に松虫の音を 発 ( おこ )させ、むづと大胡坐かき込み居る男の顔を一寸見しなに、日は暖かでも風が冷く途中は随分 寒 ( ひえ )ましたろ、 一瓶 ( ひとつ ) 煖酒 ( つけ )ましよか、と痒いところへ能く届かす手は口をきく其 間 ( ひま )に、がたぴしさせず膳ごしらへ、三輪漬は 柚 ( ゆ )の香ゆかしく、 大根卸 ( おろし )で食はする 卵 ( はらゝご )は無造作にして気が利たり。 源太胸には 苦慮 ( おもひ )あれども 幾干 ( いくら )か此に慰められて、猪口把りさまに二三杯、後一杯を 漫 ( ゆる )く飲んで、 汝 ( きさま )も 飲 ( や )れと与ふれば、お吉一口、つけて、置き、焼きかけの海苔畳み折つて、追付 三子 ( さんこ )の来さうなもの、と魚屋の名を独語しつ、猪口を返して酌せし後、上 吉と腹に思へば動かす舌も滑かに、それはさうと今日の首尾は、大丈夫此方のものとは極めて居ても、知らせて下さらぬ中は 無益 ( むだ )な苦労を妾は為ます、お上人様は何と仰せか、またのつそり奴は如何なつたか、左様真面目顔でむつつりとして居られては心配で心配でなりませぬ、と云はれて源太は高笑ひ。 源太は聞いて 冷笑 ( あざわら )ひ、何が汝に解るものか、我の為ることを好いとおもふて居てさへ呉るればそれで可いのよ。 其十二 色も香も無く一言に黙つて居よと遣り込められて、聴かぬ気のお吉顔ふり上げ何か云ひ出したげなりしが、 自己 ( おのれ )よりは一倍きかぬ気の夫の制するものを、押返して何程云ふとも機嫌を損ずる事こそはあれ、口答への甲斐は露無きを 経験 ( おぼえ )あつて知り居れば、連添ふものに心の奥を語り明して相談かけざる夫を恨めしくはおもひながら、其所は 怜悧 ( りこう )の女の分別早く、何も妾が遮つて女の癖に要らざる 嘴 ( くち )を出すではなけれど、つい気にかゝる仕事の話し故思はず様子の聞きたくて、余計な事も胸の狭いだけに饒舌つた訳、と自分が真実籠めし言葉を態と極 軽う為て仕舞ふて、何所までも夫の分別に従ふやう 表面 ( うはべ )を粧ふも、幾許か夫の腹の底に在る 煩悶 ( もしやくしや )を 殺 ( そ )いで遣りたさよりの 真実 ( まこと )。 源太もこれに角張りかゝつた顔をやわらげ、何事も皆 天運 ( まはりあはせ )ぢや、此方の了見さへ 温順 ( すなほ )に 和 ( やさ )しく有つて居たなら又好い事の廻つて来やうと、此様おもつて見ればのつそりに半口与るも却つて好い心持、世間は気次第で忌 しくも面白くもなるもの故、出来るだけは 卑劣 ( けち )な ( さび )を根性に着けず 瀟洒 ( あつさり )と世を奇麗に渡りさへすれば其で好いは、と云ひさしてぐいと 仰飲 ( あふ )ぎ、後は芝居の噂やら弟子共が 行状 ( みもち )の噂、真に罪無き雑話を 下物 ( さかな )に酒も過ぎぬほど心よく飲んで、 下卑 ( げび )た 体裁 ( さま )ではあれど とり膳睦まじく飯を 喫了 ( をは )り、多方もう十兵衞が来さうなものと何事もせず待ちかくるに、時は空しく 経過 ( たつ )て障子の 日 ( ひかげ )一尺動けど尚見えず、二尺も移れど尚見えず。 是非 先方 ( むかう )より頭を低し身を 縮 ( すぼ )めて此方へ相談に来り、何卒半分なりと仕事を 割与 ( わけ )て下されと、今日の上人様の 御慈愛 ( おなさけ )深き御言葉を頼りに泣きついても頼みをかけべきに、何として 如是 ( かう )は遅きや、思ひ断めて望を捨て、既早相談にも及ばずとて独り我家に 燻 ( くすぼ )り居るか、それともまた此方より行くを待つて居る 歟 ( か )、若しも此方の行くを待つて居るといふことならば余り増長した了見なれど、まさかに其様な高慢気も出すまじ、例ののつそりで悠長に構へて居るだけの事ならむが、扨も気の長い男め迂濶にも程のあれと、煙草ばかり徒らに 喫 ( ふ )かし居て、待つには短き日も随分長かりしに、それさへ暮れて群烏 塒 ( ねぐら )に帰る頃となれば、流石に心おもしろからず漸く癇癪の起り/\て耐へきれずなりし潮先、据られし 晩食 ( ゆふめし )の膳に対ふと其儘云ひ訳ばかりに箸をつけて茶さへ 緩 ( ゆる )りとは飲まず、お吉、十兵衞めがところに一寸行て来る、行違ひになつて 不在 ( るす )へ来ば待たして置け、と云ふ言葉さへとげ/\しく怒りを含んで立出かゝれば、気にはかゝれど何とせん方もなく、女房は送つて出したる後にて、たゞ溜息をするのみなり。 其十三 渋つて聞きかぬる雨戸に一 トしほ源太は癇癪の火の手を 亢 ( たかぶ )らせつゝ、力まかせにがち/\引き退け、十兵衞家にか、と云ひさまに突と這入れば、声色知つたるお浪早くもそれと悟つて、恩ある其人の 敵 ( むかう )に今は立ち居る十兵衞に連添へる身の面を 対 ( あは )すこと辛く、女気の 纎弱 ( かよわ )くも胸を 動悸 ( どき )つかせながら、まあ親方様、と唯一言我知らず云ひ出したる 限 ( ぎ )り挨拶さへ どぎまぎして急には二の句の出ざる中、煤けし紙に針の孔、油染みなんど多き行燈の小蔭に 悄然 ( しよんぼり )と坐り込める十兵衞を見かけて源太にずつと通られ、周章て火鉢の前に請ずる機転の 遅鈍 ( まづき )も、正直ばかりで 世態 ( よ )を 知悉 ( のみこま )ぬ姿なるべし。 十兵衞は不束に一礼して重げに口を開き、明日の朝 参上 ( あが )らうとおもふて居りました、といへばぢろりと其顔下眼に睨み、態と 泰然 ( おちつき )たる源太、応、左様いふ其方の 心算 ( つもり )であつたか、此方は例の気短故今しがたまで待つて居たが、何時になつて 汝 ( そなた )の来るか知れたことでは無いとして出掛けて来ただけ馬鹿であつたか、ハヽヽ、然し十兵衞、汝は今日の上人様の彼お言葉を何と聞たか、 両人 ( ふたり )で熟く/\相談して来よと云はれた揚句に長者の二人の児の御話し、それで態 相談に来たが汝も大抵分別は既定めて居るであらう、我も随分虫持ちだが悟つて見れば 彼譬諭 ( あのたとへ )の通り、尖りあふのは互に詰らぬこと、まんざら敵同士でもないに身勝手ばかりは我も云はぬ、つまりは和熟した 決定 ( けつぢやう )のところが欲い故に、我慾は充分折つて 摧 ( くだ )いて思案を凝らして来たものゝ、尚汝の了見も腹蔵の無いところを聞きたく、其上にまた何様とも為やうと、我も 男児 ( をとこ )なりや汚い 謀計 ( たくみ )を腹には持たぬ、 真実 ( ほんと )に 如是 ( かう )おもふて来たは、と言葉を少時とゞめて十兵衞が顔を見るに、俯伏たまゝたゞ 唯 ( はい )、唯と答ふるのみにて、乱鬢の中に五六本の白髪が瞬く 燈火 ( あかり )の光を受けてちらり/\と見ゆるばかり。 お浪は 既 ( はや )寝し猪の助が枕の方につい坐つて、呼吸さへせぬやう此もまた静まりかへり居る淋しさ。 却つて遠くに売りあるく鍋焼饂飩の呼び声の、幽に 外方 ( そと )より 家 ( や )の中に浸みこみ来るほどなりけり。 なんと、と一声烈しく鋭く、 頸首 ( くびぼね ) 反 ( そ )らす一二寸、眼に角たてゝのつそりを 驀向 ( まつかう )よりして瞰下す源太。 其十四 人情の花も 失 ( なく )さず義理の幹も 確然 ( しつかり )立てゝ、 普通 ( なみ )のものには出来ざるべき親切の相談を、一方ならぬ 実意 ( じつ )の有ればこそ源太の懸けて呉れしに、如何に伐つて抛げ出したやうな 性質 ( もちまへ )が為する返答なればとて、十兵衞厭でござりまするとは余りなる挨拶、 他 ( ひと )の 情愛 ( なさけ )の全で了らぬ土人形でも斯は云ふまじきを、さりとては恨めしいほど没義道な、口惜いほど無分別な、如何すれば其様に無茶なる夫の了見と、お浪は呆れもし驚きもし我身の急に絞木にかけて 絞 ( しめ )らるゝ如き心地のして、思はず知らず夫にすり寄り、それはまあ何といふこと、親方様が彼程に彼方此方のためを計つて、見るかげもない 此方連 ( このはうづれ )、云はゞ一 ト足に蹴落して御仕舞ひなさるゝことも為さらば 成 ( でき )る此方連に、大抵ではない御情をかけて下され、御自分一人で為さりたい仕事をも 分与 ( わけ )て遣らう半口乗せて呉れうと、身に浸みるほどありがたい御親切の御相談、しかも 御招喚 ( およびつけ )にでもなつてでのことか、坐蒲団さへあげることの成らぬ此様なところへ態 御来臨 ( おいで )になつての御話し、それを無にして勿体ない、十兵衞厭でござりまするとは冥利の尽きた我儘勝手、親方様の御親切の分らぬ筈は無からうに胴慾なも無遠慮なも大方 程度 ( ほどあひ )のあつたもの、これ此妾の今着て居るのも去年の冬の取り付きに袷姿の寒げなを気の毒がられてお吉様の、 縫直 ( なほ )して着よと下されたのとは汝の眼には 暎 ( うつ )らぬか、一方ならぬ御恩を受けて居ながら親方様の 対岸 ( むかう )へ廻るさへあるに、それを小癪なとも恩知らずなとも仰やらず、何処までも弱い者を 愛護 ( かば )ふて下さる 御仁慈 ( おなさけ )深い御分別にも 頼 ( よ )り縋らいで一概に厭ぢやとは、仮令ば真底から厭にせよ 記臆 ( ものおぼえ )のある 人間 ( ひと )の口から出せた言葉でござりまするか、親方様の手前お吉様の 所思 ( おもはく )をも能く 篤 ( とつく )りと考へて見て下され、妾はもはや是から先何の顔さげて厚ヶ間敷お吉様の御眼にかゝることの成るものぞ、親方様は御胸の広うて、あゝ十兵衞夫婦は訳の分らぬ愚者なりや是も非もないと、其儘何とも思しめされず唯打捨て下さるか知らねど、世間は 汝 ( おまへ )を何と云はう、恩知らずめ義理知らずめ、人情解せぬ畜生め、 彼奴 ( あれめ )は犬ぢや烏ぢやと万人の 指甲 ( つめ )に弾かれものとなるは必定、犬や烏と身をなして仕事を為たとて何の 功名 ( てがら )、慾をかわくな齷齪するなと常 妾に諭された自分の言葉に対しても恥かしうはおもはれぬか、何卒 柔順 ( すなほ )に親方様の御異見について下さりませ、天に聳ゆる生雲塔は誰 二人で作つたと、親方様と諸共に肩を並べて世に 称 ( うた )はるれば、汝の苦労の甲斐も立ち親方様の有難い 御芳志 ( おこゝろざし )も知るゝ道理、妾も何の様に嬉しかろか喜ばしかろか、若し左様なれば不足といふは薬にしたくも無い筈なるに、汝は天魔に魅られて其をまだ/\不足ぢやとおもはるゝのか、嗚呼情無い、妾が云はずと知れてゐる 汝 ( おまへ )自身の身の程を、身の分際を忘れてか、と泣声になり掻口説く女房の頭は低く垂れて、髷にさゝれし縫針の 孔 ( めど )が 啣 ( くは )へし 一条 ( ひとすぢ )の糸ゆら/\と振ふにも、千 に砕くる心の態の知られていとゞ 可憫 ( いぢら )しきに、眼を瞑ぎ居し十兵衞は、其時例の 濁声 ( だみごゑ )出し、喧しいはお浪、黙つて居よ、我の話しの邪魔になる、親方様聞て下され。 其十五 思ひの中に激すればや、じた/\と 慄 ( ふる )ひ出す膝の頭を 緊乎 ( しつか )と寄せ合せて、其上に 両手 ( もろて )突張り、身を固くして十兵衞は、情無い親方様、二人で為うとは情無い、十兵衞に半分仕事を譲つて下されうとは御慈悲のやうで情無い、厭でござります、厭でござります、塔の建てたいは山 でも 既 ( もう )十兵衞は 断念 ( あきらめ )て居りまする、御上人様の 御諭 ( おさとし )を聞いてからの帰り道すつぱり思ひあきらめました、身の程にも無い考を持つたが間違ひ、嗚呼私が馬鹿でござりました、のつそりは何処迄ものつそりで馬鹿にさへなつて居れば其で可い訳、溝板でもたゝいて一生を終りませう、親方様 堪忍 ( かに )して下され 我 ( わたし )が悪い、塔を建てうとは 既 ( もう )申しませぬ、見ず知らずの他の人ではなし御恩になつた親方様の、一人で立派に建てらるゝを 余所 ( よそ )ながら視て喜びませう、と元気無げに云ひ出づるを走り気の源太 悠 ( ゆるり )とは聴て居ず、ずいと身を進て、馬鹿を云へ十兵衞、余り道理が分らな過ぎる、上人様の御諭は 汝 ( きさま )一人に聴けといふて 為 ( なさ )れたではない我が耳にも入れられたは、汝の腹でも聞たらば我の胸で受取つた、汝一人に 重石 ( おもし )を背負つて左様沈まれて仕舞ふては源太が男になれるかやい、詰らぬ思案に身を退て馬鹿にさへなつて居れば可いとは、分別が 摯実 ( くすみ )過ぎて 至当 ( もつとも )とは云はれまいぞ、応左様ならば我が為ると得たり 賢 ( かしこ )で引受けては、上人様にも恥かしく第一源太が折角磨いた 侠気 ( をとこ )も其所で廃つて仕舞ふし、汝は 固 ( もとよ )り虻蜂取らず、智慧の無いにも程のあるもの、そしては二人が何可からう、さあ其故に美しく二人で仕事を為うといふに、少しは気まづいところが有つてもそれはお互ひ、汝が不足な程に此方にも面白くないのあるは知れきつた事なれば、双方 忍耐仕交 ( がまんしあふ )として忍耐の出来ぬ訳はない筈、何もわざ/\骨を折つて汝が馬鹿になつて仕舞ひ、幾日の心配を煙と 消 ( きや )し天晴な 手腕 ( うで )を寝せ殺しにするにも当らない、なう十兵衞、我の云ふのが腑に落ちたら思案を 飜然 ( がらり )と仕変へて呉れ、源太は無理は云はぬつもりだ、これさ何故黙つて居る、不足か不承知か、承知しては呉れないか、ゑゝ我の了見をまだ呑み込んでは呉れないか、十兵衞、あんまり情無いではないか、何とか云ふて呉れ、不承知か不承知か、ゑゝ情無い、黙つて居られては解らない、我の云ふのが不道理か、それとも不足で腹立てゝか、と義には強くて情には弱く意地も立つれば親切も飽くまで徹す江戸ッ子腹の、源太は 柔和 ( やさし )く問ひかくれば、聞居るお浪は嬉しさの骨身に浸みて、親方様あゝ有り難うござりますると口には出さねど、舌よりも真実を語る涙をば溢らす眼に、返辞せぬ夫の方を気遣ひて、見れば男は露一厘身動きなさず無言にて思案の頭重く 低 ( た )れ、ぽろり/\と膝の上に散らす 涙珠 ( なみだ )の 零 ( お )ちて声あり。 源太も今は無言となり 少時 ( しばらく )ひとり考へしが、十兵衞汝はまだ解らぬか、それとも不足とおもふのか、成程折角望んだことを二人でするは口惜かろ、然も源太を 心 ( しん )にして副になるのは口惜かろ、ゑゝ負けてやれ斯様して遣らう、源太は副になつても可い汝を心に立てるほどに、さあ/\清く承知して二人で為うと合点せい、と己が望みは無理に折り、思ひきつてぞ云ひ放つ。 とッとんでも無い親方様、仮令十兵衞気が狂へばとて何して其様は出来ますものぞ、勿体ない、と周章て云ふに、左様なら我の異見につくか、と唯一言に返されて、其は、と 窮 ( つま )るをまた追つ掛け、 汝 ( きさま )を心に立てやうか乃至それでも不足か、と烈しく突かれて度を失ふ傍にて女房が気もわくせき、親方様の御異見に何故まあ早く付かれぬ、と責むるが如く恨みわび、言葉そゞろに勧むれば十兵衞つひに絶体絶命、下げたる頭を 徐 ( しづか )に上げ 円 ( つぶら )の眼を剥き出して、一ツの仕事を二人でするは、よしや十兵衞心になつても副になつても、厭なりや何しても出来ませぬ、親方一人で御建なされ、私は馬鹿で終りまする、と皆まで云はせず源太は怒つて、これほど事を分けて云ふ我の 親切 ( なさけ )を無にしても歟。 唯 ( はい )、ありがたうはござりまするが、 虚言 ( うそ )は申せず、厭なりや出来ませぬ。 汝 ( おのれ )よく云つた、源太の言葉にどうでもつかぬ歟。 是非ないことでござります。 やあ覚えて居よ此のつそりめ、 他 ( ひと )の情の分らぬ奴、其様の事云へた義理か、よし/\ 汝 ( おのれ )に口は利かぬ、一生 溝 ( どぶ )でもいぢつて暮せ、五重塔は気の毒ながら汝に指もさゝせまい、源太一人で立派に建てる、成らば手柄に 批点 ( てん )でも打て。 其十六 ゑい、ありがたうござります、滅法界に酔ひました、もう 飲 ( いけ )やせぬ、と 空辞誼 ( そらじぎ )は五月蠅ほど仕ながら、猪口もつ手を後へは退かぬが可笑き上戸の 常態 ( つね )、清吉既馳走酒に十分酔たれど遠慮に三 分 ( ぶ )の真面目をとゞめて殊勝らしく坐り込み、親方の 不在 ( るす )に斯様 爛酔 ( へゞ )ては済みませぬ、姉御と 対酌 ( さし )では夕暮を躍るやうになつてもなりませんからな、アハヽ無暗に嬉しくなつて来ました、もう行きませう、はめを外すと親方の御眼玉だ、だが然し姉御、内の親方には眼玉を貰つても 私 ( わつち )は嬉しいとおもつて居ます、なにも姉御の前だからとて軽薄を云ふではありませぬが、 真実 ( ほんと )に内の親方は茶袋よりもありがたいとおもつて居ます、 日外 ( いつぞや )の凌雲院の仕事の時も鐵や慶を 対 ( むかう )にして詰らぬことから喧嘩を初め、鐵が肩先へ大怪我をさした其後で鐵が親から泣き込まれ、嗚呼悪かつた気の毒なことをしたと後悔しても此方も貧的、 何様 ( どう )してやるにも遣り様なく、困りきつて 逃亡 ( かけおち )とまで思つたところを、黙つて親方から療治手当も為てやつて下された上、かけら半分叱言らしいことを 私 ( わつち )に云はれず、たゞ物和しく、清や 汝 ( てめへ )喧嘩は時のはづみで仕方は無いが気の毒とおもつたら 謝罪 ( あやま )つて置け、鐵が親の気持も好かろし 汝 ( てめへ )の寝覚も好といふものだと心付けて下すつた其時は、嗚呼何様して 此様 ( こんな )に 仁慈 ( なさけ )深かろと有難くて有難くて私は泣きました、鐵に謝罪る訳は無いが親方の一言に 堪忍 ( がまん )して私も謝罪に行きましたが、それから 異 ( おつ )なもので何時となく鐵とは仲好になり、今では何方にでも 万一 ( ひよつと )したことの有れば骨を拾つて遣らうか貰はうかといふ位の 交際 ( つきあひ )になつたも皆親方の御蔭、それに引変へ茶袋なんぞは無暗に叱言を云ふばかりで、やれ喧嘩をするな 遊興 ( あそび )をするなと下らぬ事を小五月蠅く耳の 傍 ( はた )で口説きます、ハヽヽいやはや話になつたものではありませぬ、ゑ、茶袋とは 母親 ( おふくろ )の事です、なに酷くはありませぬ茶袋で沢山です、然も渋をひいた番茶の方です、あッハヽヽ、ありがたうござります、もう行きませう、ゑ、また一本 燗 ( つけ )たから飲んで行けと仰るのですか、あゝありがたい、茶袋だと此方で一本といふところを 反対 ( あべこべ )にもう廃せと云ひますは、あゝ好い心持になりました、歌ひたくなりましたな、歌へるかとは情ない、松づくしなぞは彼奴に賞められたほどで、と罪の無いことを云へばお吉も笑ひを含むで、そろ/\惚気は恐ろしい、などと 調戯 ( からか )ひ居るところへ帰つて来たりし源太、おゝ丁度よい清吉居たか、お吉飲まうぞ、支度させい、清吉今夜は酔ひ潰れろ、胴魔声の松づくしでも聞てやろ。 や、親方立聞して居られたな。 其十七 清吉酔ふては 束 ( しまり )なくなり、砕けた源太が 談話 ( はなし )ぶり 捌 ( さば )けたお吉が 接待 ( とりなし )ぶりに何時しか遠慮も打忘れ、 擬 ( さ )されて 辞 ( いな )まず受けては突と干し 酒盞 ( さかづき )の数重ぬるまゝに、 平常 ( つね )から可愛らしき紅ら顔を一層 沢 ( みづ/\ )と、実の 熟 ( い )つた 丹波王母珠 ( たんばほゝづき )ほど紅うして、罪も無き高笑ひやら相手もなしの 空示威 ( からりきみ )、朋輩の誰の噂彼の噂、 自己 ( おのれ )が 仮声 ( こわいろ )の何所其所で 喝采 ( やんや )を獲たる自慢、 奪 ( あげ )られぬ奪られるの云ひ争ひの末 何楼 ( なにや )の 獅顔 ( しかみ )火鉢を盗り出さんとして 朋友 ( ともだち )の仙の野郎が 大失策 ( おほしくじり )を仕た話、五十間で地廻りを擲つた事など、縁に引かれ図に乗つて其から其へと饒舌り散らす中、不図のつそりの噂に火が飛べば、とろりとなりし眼を急に見張つて、ぐにやりとして居し肩を 聳 ( そば )だて、冷たうなつた飲みかけの酒を 異 ( をか )しく唇まげながら吸ひ干し、一体あんな馬鹿野郎を親方の可愛がるといふが 私 ( わつち )には 頭 ( てん )から解りませぬ、仕事といへば馬鹿丁寧で 捗 ( はこ )びは一向つきはせず、柱一本 鴫居 ( しきゐ )一ツで嘘をいへば鉋を三度も 礪 ( と )ぐやうな 緩慢 ( のろま )な奴、何を一ツ頼んでも間に合つた 例 ( ためし )が無く、赤松の炉縁一ツに三日の手間を取るといふのは、多方あゝいふ手合だらうと仙が笑つたも無理は有りませぬ、それを親方が贔屓にしたので一時は正直のところ、済みませんが私も 金 ( きん )も仙も六も、あんまり親方の腹が大きすぎて其程でもないものを買ひ込み過ぎて居るでは無いか、念入りばかりで気に入るなら 我等 ( おれたち )も是から羽目板にも仕上げ鉋、のろり/\と 充分 ( したゝか )清めて碁盤肌にでも削らうかと 僻味 ( ひがみ )を云つた事もありました、第一彼奴は 交際 ( つきあひ )知らずで 女郎買 ( ぢよろかひ )一度一所にせず、 好闘鶏 ( しやも )鍋つゝき合つた事も無い唐偏朴、何時か大師へ 一同 ( みんな )が行く時も、まあ親方の 身辺 ( まはり )について居るものを一人ばかり仲間はづれにするでも無いと私が親切に誘つてやつたに、 我 ( おれ )は貧乏で行かれないと云つた切りの挨拶は、なんと愛想も義理も知らな過ぎるではありませんか、銭が無ければ 女房 ( かゝ )の一枚着を曲げ込んでも 交際 ( つきあひ )は交際で立てるが 朋友 ( ともだち )づく、それも解らない 白痴 ( たはけ )の癖に段 親方の恩を被て、私や金と同じことに今では如何か一人立ち、然も憚りながら 青涕 ( あをつぱな )垂らして弁当箱の持運び、 木片 ( こつぱ )を担いでひよろ/\帰る餓鬼の頃から親方の手について居た私や仙とは違つて奴は渡り者、次第を云へば私等より一倍深く親方を有難い忝ないと思つて居なけりやならぬ筈、親方、姉御、私は悲しくなつて来ました、私は若しもの事があれば親方や姉御のためと云や黒煙の煽りを食つても飛び込むぐらゐの了見は持つて居るに、畜生ッ、あゝ 人情 ( なさけ )無い野郎め、のつそりめ、彼奴は火の中へは恩を脊負つても入りきるまい、碌な根性は有つて居まい、あゝ人情無い畜生めだ、と酔が図らず云ひ出せし不平の中に潜り込んで、めそ/\めそ/\泣き出せば、お吉は夫の顔を見て、 例 ( いつも )の癖が出て来たかと困つた風情は仕ながらも 自己 ( おのれ )の胸にものつそりの憎さがあれば、 幾分 ( いくら )かは清が言葉を 道理 ( もつとも )と聞く傾きもあるなるべし。 源太は腹に戸締の無きほど 愚魯 ( おろか )ならざれば、猪口を 擬 ( さ )しつけ高笑ひし、何を云ひ出した清吉、寝惚るな我の前だは、三の切を出しても初まらぬぞ、其手で女でも口説きやれ、随分ころりと来るであらう、汝が惚けた小蝶さまの御部屋では無い、アッハヽヽと 戯言 ( おどけ )を云へば尚真面目に、 木 珠 ( ずゞだま )ほどの涙を払ふ其手をぺたりと刺身皿の中につつこみ、しやくり上げ 歔欷 ( しやくりあげ )して泣き出し、あゝ情無い親方、私を 酔漢 ( よつぱらひ )あしらひは情無い、酔つては居ませぬ、小蝶なんぞは飲べませぬ、左様いへば彼奴の面が何所かのつそりに似て居るやうで口惜くて情無い、のつそりは憎い奴、親方の 対 ( むかう )を張つて大それた、五重の塔を生意気にも建てやうなんとは憎い奴憎い奴、親方が 和 ( やさ )し過ぎるので増長した謀反人め、謀反人も明智のやうなは 道理 ( もつとも )だと伯龍が講釈しましたが彼奴のやうなは大悪無道、親方は何日のつそりの頭を鉄扇で打ちました、 何日 ( いつ )蘭丸にのつそりの領地を 与 ( や )ると云ひました、私は今に若も彼奴が親方の言葉に甘へて名を列べて塔を建てれば 打捨 ( うつちや )つては置けませぬ、 擲 ( たゝ )き殺して 狗 ( いぬ )に呉れます此様いふやうに擲き殺して、と明徳利の横面 突然 ( いきなり )打き飛ばせば、 砕片 ( かけら )は散つて皿小鉢跳り出すやちん 鏘然 ( からり )。 馬鹿野郎め、と親方に大喝されて其儘にぐづりと坐り 沈静 ( おとなし )く居るかと思へば、散かりし 還原海苔 ( もどしのり )の上に額おしつけ既 鼾声 ( いびき )なり。 源太はこれに打笑ひ、愛嬌のある阿呆めに掻巻かけて遣れ、と云ひつゝ手酌にぐいと引かけて酒気を吹くこと良久しく、怒つて帰つて来はしたものゝ 彼様 ( あゝ )では高が清吉同然、さて分別がまだ要るは。 お浪もかへす言葉なく無言となれば、尚寒き 一室 ( ひとま )を照せる行燈も 灯花 ( ちやうじ )に暗うなりにけり。 清吉を出しやりたる後、源太は尚も考にひとり沈みて日頃の 快活 ( さつぱり )とした調子に似もやらず、碌 お吉に口さへきかで思案に思案を凝らせしが、あゝ解つたと独り言するかと思へば、 愍然 ( ふびん )なと溜息つき、ゑゝ 抛 ( なげ )やうかと云ふかとおもへば、何して呉れうと腹立つ様子を傍にてお吉の見る辛さ、問ひ慰めんと口を出せば黙つて居よとやりこめられ、詮方なさに胸の中にて空しく心をいたむるばかり。 源太は其等に関ひもせず夕暮方まで考へ考へ、漸く思ひ定めやしけむ 衝 ( つ )と身を起して衣服をあらため、感応寺に行き上人に 見 ( まみ )えて昨夜の始終をば隠すことなく物語りし末、一旦は私も余り解らぬ十兵衞の答に腹を立てしものゝ帰つてよく/\考ふれば、仮令ば私一人して立派に塔は建つるにせよ、それでは折角御諭しを受けた甲斐無く源太がまた我慾にばかり強いやうで 男児 ( をとこ )らしうも無い話し、といふて十兵衞は十兵衞の思わくを滅多に捨はすまじき様子、彼も全く 自己 ( おのれ )を押へて譲れば源太も自己を押へて彼に仕事をさせ下されと譲らねばならぬ義理人情、いろ/\ 愚昧 ( おろか )な考を使つて漸く案じ出したことにも十兵衞が乗らねば仕方なく、それを怒つても恨むでも是非の無い訳、 既 ( はや )此上には変つた分別も私には出ませぬ、唯願ふはお上人様、仮令ば十兵衞一人に仰せつけられますればとて私かならず何とも思ひますまいほどに、十兵衞になり私になり二人共 になり 何様 ( どう )とも仰せつけられて下さりませ、御口づからの事なれば十兵衞も私も互に争ふ心は捨て居りまするほどに露さら故障はござりませぬ、我等二人の相談には余つて願ひにまゐりました、と実意を面に現しつゝ願へば上人ほく/\笑はれ、左様ぢやろ左様ぢやろ、流石に 汝 ( そなた )も見上げた男ぢや、好い/\、其心掛一つで既う生雲塔見事に建てたより立派に汝はなつて居る、十兵衞も 先刻 ( さつき )に来て同じ事を云ふて帰つたは、彼も可愛い男ではないか、のう源太、可愛がつて遣れ可愛がつて遣れ、と心あり気に云はるゝ言葉を源太早くも合点して、ゑゝ可愛がつて遣りますとも、といと 清 ( すゞ )しげに答れば、上人満面皺にして悦び玉ひつ、好いは好いは、嗚呼気味のよい男児ぢやな、と真から底から 褒美 ( ほめ )られて、勿体なさはありながら源太おもはず頭をあげ、お蔭で男児になれましたか、と一語に無限の感慨を含めて喜ぶ男泣き。 既此時に十兵衞が仕事に助力せん心の、世に美しくも湧たるなるべし。 主人 ( あるじ )が浮かねば女房も、何の罪なき 頑要 ( やんちや )ざかりの猪之まで 自然 ( おのづ )と浮き立たず、淋しき貧家のいとゞ淋しく、 希望 ( のぞみ )も無ければ 快楽 ( たのしみ )も一点あらで日を暮らし、暖味のない夢に物寂た夜を明かしけるが、お浪 暁天 ( あかつき )の鐘に眼覚めて猪之と一所に寐たる床より 密 ( そつ )と出るも、朝風の寒いに火の無い中から起すまじ、も少し 睡 ( ね )させて置かうとの 慈 ( やさ )しき親の心なるに、何も彼も知らいでたわい無く寐て居し 平生 ( いつも )とは違ひ、如何せしことやら忽ち飛び起き、襦袢一つで夜具の上跳ね廻り跳ね廻り、厭ぢやい厭ぢやい、父様を打つちや厭ぢやい、と 蕨 ( わらび )のやうな手を眼にあてゝ何かは知らず泣き出せば、ゑゝこれ猪之は何したものぞ、と吃驚しながら抱き止むるに抱かれながらも猶泣き止まず。 誰も父様を打ちは仕ませぬ、夢でも見たか、それそこに父様はまだ寐て居らるゝ、と顔を押向け知らすれば不思議さうに覗き込で、漸く安心しは仕てもまだ 疑惑 ( うたがひ )の晴れぬ様子。 猪之や何にも有りはし無いは、夢を見たのぢや、さあ寒いに風邪をひいてはなりませぬ、床に這入つて寐て居るがよい、と引き倒すやうにして横にならせ、掻巻かけて隙間無きやう上から押しつけ遣る母の顔を見ながら眼をぱつちり、あゝ怖かつた、今 他所 ( よそ )の怖い人が。 おゝおゝ、如何か仕ましたか。 大きな、大きな 鉄槌 ( げんのう )で、黙つて坐つて居る父様の、頭を打つて 幾度 ( いくつ )も打つて、頭が半分 砕 ( こは )れたので坊は大変吃驚した。 ゑゝ鶴亀 、厭なこと、 延喜 ( えんぎ )でも無いことを云ふ、と眉を皺むる折も折、 戸外 ( おもて )を通る納豆売りの 戦 ( ふる )へ声に覚えある奴が、ちェッ忌 しい草鞋が切れた、と 打独語 ( うちつぶや )きて行き過ぐるに女房ます/\気色を 悪 ( あし )くし、台所に出て釜の下を焚きつくれば思ふ如く燃えざる 薪 ( まき )も腹立しく、引窓の滑よく明かぬも今更のやうに焦れつたく、嗚呼何となく厭な日と思ふも心からぞとは知りながら、猶気になる事のみ気にすればにや多けれど、また云ひ出さば笑はれむと自分で 呵 ( しか )つて 平日 ( いつも )よりは笑顔をつくり言葉にも活気をもたせ、 溌 ( いき/\ )として夫をあしらひ子をあしらへど、根が態とせし 偽飾 ( いつはり )なれば却つて笑ひの尻声が 憂愁 ( うれひ )の響きを遺して去る 光景 ( ありさま )の悲しげなるところへ、十兵衞殿お宅か、と 押柄 ( あふへい )に大人びた口きゝながら這入り来る小坊主、高慢にちよこんと上り込み、御用あるにつき直と来られべしと 前後 ( あとさき )無しの棒口上。 お浪も不審、十兵衞も分らぬことに思へども 辞 ( いな )みもならねば、 既 ( はや )感応寺の門くゞるさへ 無益 ( むやく )しくは考へつゝも、何御用ぞと行つて問へば、天地顛倒こりや 何 ( どう )ぢや、夢か現か真実か、圓道右に爲右衞門左に朗圓上人 中央 ( まんなか )に坐したまふて、圓道言葉おごそかに、此度 建立 ( こんりふ )なるところの生雲塔の一切工事川越源太に任せられべき筈のところ、方丈思しめし寄らるゝことあり格別の御詮議例外の御慈悲をもつて、十兵衞其方に 確 ( しか )と御任せ相成る、辞退の儀は決して無用なり、早 ありがたく御受申せ、と云ひ渡さるゝそれさへあるに、上人皺枯れたる御声にて、これ十兵衞よ、思ふ存分 仕遂 ( しと )げて見い、好う仕上らば嬉しいぞよ、と 荷担 ( になふ )に余る冥加の御言葉。 のつそりハッと俯伏せしまゝ五体を 濤 ( なみ )と 動 ( ゆる )がして、十兵衞めが生命はさ、さ、さし出しまする、と云ひし 限 ( ぎ )り 喉 ( のど ) 塞 ( ふさ )がりて言語絶え、 岑閑 ( しんかん )とせし広座敷に何をか語る呼吸の響き 幽 ( かすか )にしてまた人の耳に徹しぬ。 其二十一 紅蓮白蓮の 香 ( にほひ )ゆかしく 衣袂 ( たもと )に裾に薫り来て、浮葉に露の玉 動 ( ゆら )ぎ立葉に風の 軟 ( そよ ) 吹 ( ふ )ける面白の夏の 眺望 ( ながめ )は、赤蜻蛉 菱藻 ( ひしも )を 嬲 ( なぶ )り初霜向ふが岡の 樹梢 ( こずゑ )を染めてより 全然 ( さらり )と無くなつたれど、 赭色 ( たいしや )になりて 荷 ( はす )の茎ばかり情無う立てる間に、世を忍び 気 ( げ )の白鷺が 徐 ( そろり )と歩む姿もをかしく、紺青色に暮れて行く 天 ( そら )に漸く 輝 ( ひか )り出す星を脊中に擦つて飛ぶ雁の、鳴き渡る音も 趣味 ( おもむき )ある不忍の池の景色を 下物 ( さかな )の外の下物にして、客に酒をば亀の子ほど飲まする蓬莱屋の裏二階に、気持の好ささうな顔して欣然と人を待つ男一人。 唐桟 ( たうざん )揃ひの 淡泊 ( あつさり )づくりに住吉張の銀煙管おとなしきは、職人らしき 侠気 ( きほひ )の風の 言語 ( ものいひ ) 挙動 ( そぶり )に見えながら 毫末 ( すこし )も 下卑 ( げび )ぬ上品 質 ( だち )、いづれ親方 と多くのものに立らるゝ棟梁株とは、予てから知り居る馴染のお傳といふ女が、 嘸 ( さぞ )お待ち遠でござりませう、と膳を置つゝ云ふ世辞を、待つ退屈さに 捕 ( つかま )へて、待遠で/\堪りきれぬ、ほんとに人の気も知らないで何をして居るであらう、と云へば、それでもお 化粧 ( しまひ )に手間の取れまするが無理は無い筈、と云ひさしてホヽと笑ふ慣れきつた返しの太刀筋。 アハヽヽそれも 道理 ( もつとも )ぢや、今に来たらば能く見て呉れ、まあ恐らく 此地辺 ( こゝら )に類は無らう、といふものだ。 阿呀 ( おや )恐ろしい、何を 散財 ( おご )つて下さります、 而 ( そ )して親方、といふものは御師匠さまですか。 いゝや。 娘さんですか。 いゝや。 後家様。 いゝや。 お婆さんですか。 馬鹿を云へ可愛想に。 では赤ん坊。 此奴 ( こいつ )め人をからかふな、ハヽハヽヽ。 ホヽホヽヽと下らなく笑ふところへ襖の外から、お傳さんと名を呼んで御連様と知らすれば、立上つて唐紙明けにかゝりながら一寸後向いて人の顔へ 異 ( おつ )に眼を呉れ無言で笑ふは、御嬉しかろと 調戯 ( からか )つて焦らして 底悦喜 ( そこえつき )さする冗談なれど、源太は却つて 心 ( しん )から 可笑 ( をかし )く思ふとも知らずにお傳はすいと明くれば、のろりと入り来る客は色ある新造どころか香も艶もなき無骨男、ぼう/\ 頭髪 ( あたま )のごり/\ 腮髯 ( ひげ )、 面 ( かほ )は汚れて 衣服 ( きもの )は垢づき破れたる見るから厭気のぞつとたつ程な様子に、流石呆れて挨拶さへ どぎまぎせしまゝ急には出ず。 此品 ( これ )をば汝は要らぬと云ふのか、と 慍 ( いかり )を底に匿して問ふに、のつそり左様とは気もつかねば、別段拝借いたしても、と一句 迂濶 ( うつか )り答ふる途端、鋭き気性の源太は堪らず、親切の上親切を尽して我が智慧思案を凝らせし絵図まで与らむといふものを、無下に返すか慮外なり、何程 自己 ( おのれ )が手腕の好て他の 好情 ( なさけ )を無にするか、そも/\最初に 汝 ( おのれ )めが我が対岸へ廻はりし時にも腹は立ちしが、じつと堪へて争はず、 普通大体 ( なみたいてい )のものならば我が 庇蔭 ( かげ ) 被 ( き )たる身をもつて一つ仕事に手を入るゝか、打擲いても飽かぬ奴と、怒つて怒つて何にも為べきを、可愛きものにおもへばこそ一言半句の厭味も云はず、唯 自然の成行に任せ置きしを忘れし歟、上人様の御諭しを受けての後も分別に分別渇らしてわざ/\出掛け、汝のために相談をかけてやりしも勝手の意地張り、 大体 ( たいてい )ならぬものとても 堪忍 ( がまん )なるべきところならぬを、よく/\汝を 最惜 ( いとし )がればぞ踏み耐へたるとも知らざる歟、汝が運の好きのみにて汝が手腕の好きのみにて汝が心の正直のみにて、上人様より今度の 工事 ( しごと )命けられしと思ひ居る歟、此品をば与つて此源太が恩がましくでも思ふと思ふか、乃至は 既 ( もはや )慢気の萌して 頭 ( てん )から何の詰らぬ者と人の絵図をも易く思ふか、取らぬとあるに強はせじ、余りといへば人情なき奴、あゝ有り難うござりますると喜び受けて此中の仕様を 一所 ( ひととこ ) 二所 ( ふたとこ )は用ひし上に、彼箇所は御蔭で 美 ( うま )う行きましたと後で挨拶するほどの事はあつても当然なるに、開けて見もせず覗きもせず、知れ切つたると云はぬばかりに愛想も 菅 ( すげ )もなく要らぬとは、汝十兵衞よくも撥ねたの、此源太が仕た図の中に汝の知つた者のみ有らうや、 汝等 ( うぬら )が工風の輪の外に源太が跳り出ずに有らうか、見るに足らぬと其方で思はば汝が手筋も知れてある、大方高の知れた塔建たぬ前から眼に 暎 ( うつ )つて気の毒ながら 批難 ( なん )もある、既堪忍の緒も断れたり、 卑劣 ( きたな )い 返報 ( かへし )は為まいなれど源太が烈しい意趣返報は、為る時為さで置くべき歟、酸くなるほどに今までは口もきいたが既きかぬ、一旦思ひ捨つる上は口きくほどの未練も有たぬ、三年なりとも十年なりとも 返報 ( しかへし )するに充分な事のあるまで、物蔭から眼を光らして睨みつめ無言でじつと待つてゝ呉れうと、気性が違へば思はくも一二度終に三度めで無残至極に 齟齬 ( くひちが )ひ、いと物静に言葉を低めて、十兵衞殿、と殿の字を急につけ出し叮嚀に、要らぬといふ図は仕舞ひましよ、汝一人で建つる塔定めて立派に出来やうが、地震か風の有らう時壊るゝことは有るまいな、と軽くは云へど深く嘲ける 語 ( ことば )に十兵衞も快よからず、のつそりでも 恥辱 ( はぢ )は知つて居ります、と底力味ある 楔 ( くさび )を打てば、中 見事な一言ぢや、忘れぬやうに 記臆 ( おぼ )えて居やうと、釘をさしつゝ恐ろしく睥みて後は物云はず、頓て忽ち立ち上つて、嗚呼飛んでも無い事を忘れた、十兵衞殿 寛 ( ゆる )りと遊んで居て呉れ、我は帰らねばならぬこと思ひ出した、と風の如くに其座を去り、あれといふ間に推量勘定、 幾金 ( いくら )か遺して 風 ( ふい )と出つ、直其足で同じ町の 某 ( ある )家が閾またぐや否、厭だ/\、厭だ/\、詰らぬ下らぬ馬鹿 しい、愚図 せずと酒もて来い、蝋燭いぢつて其が食へるか、 鈍痴 ( どぢ )め肴で酒が飲めるか、小兼春吉お房蝶子四の五の云はせず掴むで来い、 臑 ( すね )の達者な若い衆頼も、 我家 ( うち )へ行て清、仙、鐵、政、誰でも彼でも直に遊びに 遣 ( よ )こすやう、といふ片手間にぐい/\ 仰飲 ( あふ )る間も無く入り来る女共に、今晩なぞとは手ぬるいぞ、と 驀向 ( まつかう )から 焦躁 ( じれ )を吹つ掛けて、飲め、酒は車懸り、 猪口 ( ちよく )は巴と廻せ廻せ、お房 外見 ( みえ )をするな、春婆大人ぶるな、ゑゝお蝶め其でも血が 循環 ( めぐ )つて居るのか 頭上 ( あたま )に 鼬 ( いたち )花火載せて火をつくるぞ、さあ歌へ、ぢやん/\と遣れ、小兼め気持の好い声を出す、あぐり踊るか、かぐりもつと跳ねろ、やあ清吉来たか鐵も来たか、何でも好い滅茶 に騒げ、我に嬉しい事が有るのだ、無礼講に遣れ/\、と大将無法の元気なれば、後れて来たる仙も政も 煙 ( けぶ )に巻かれて浮かれたち、天井抜けうが根太抜けうが抜けたら此方の御手のものと、飛ぶやら舞ふやら唸るやら、 潮来 ( いたこ ) 出島 ( でじま )もしほらしからず、甚句に 鬨 ( とき )の声を湧かし、かつぽれに滑つて 転倒 ( ころ )び、 手品 ( てづま )の太鼓を杯洗で鐵がたゝけば、清吉はお房が傍に寐転んで 銀釵 ( かんざし )にお前 其様 ( そのよ )に酢ばかり飲んでを稽古する馬鹿騒ぎの中で、一了簡あり顔の政が木遣を丸めたやうな声しながら、北に峨 たる青山をと 異 ( おつ )なことを吐き出す勝手三昧、やつちやもつちやの末は拳も下卑て、 乳房 ( ちゝ )の脹れた奴が臍の下に紙幕張るほどになれば、さあもう此処は切り上げてと源太が一言、それから先は何所へやら。 其二十三 蒼 ( たか )の飛ぶ時 他所視 ( よそみ )はなさず、鶴なら鶴の一点張りに雲をも 穿 ( うが )ち風にも 逆 ( むか )つて目ざす獲物の、咽喉仏 把攫 ( ひつつか )までは合点せざるものなり。 主人は男の心強く思ひを外には現さねど、お吉は何程さばけたりとて流石女の胸小さく、出入るものに感応寺の塔の地曳の今日済みたり 柱立式 ( はしらだて )昨日済みしと聞く度ごとに忌 敷、嫉妬の 火炎 ( ほむら )衝き上がりて、汝十兵衞恩知らずめ、 良人 ( うち )の心の広いのをよい事にして付上り、うま/\名を揚げ身を立るか、よし名の揚り身の立たば差詰礼にも来べき筈を、知らぬ顔して鼻高 と其日 を送りくさる歟、余りに 性質 ( ひと )の好過ぎたる 良人 ( うち )も良人なら面憎きのつそりめもまたのつそりめと、折にふれては八重縦横に癇癪の虫跳ね廻らし、 自己 ( おの )が小鬢の後毛上げても、ゑゝ焦つたいと罪の無き髪を掻きむしり、一文貰ひに乞食が来ても甲張り声に酷く謝絶りなどしけるが、或日源太が 不在 ( るす )のところへ心易き医者道益といふ饒舌坊主遊びに来りて、 四方八方 ( よもやま )の話の末、或人に連れられて 過般 ( このあひだ )蓬莱屋へまゐりましたが、お傳といふ女からきゝました一分始終、いやどうも此方の棟梁は違つたもの、えらいもの、男児は左様あり度と感服いたしました、と御世辞半分何の気なしに云ひ出でし詞を、手繰つて其夜の仔細をきけば、知らずに居てさへ口惜しきに知つては重 憎き十兵衞、お吉いよ/\腹を立ちぬ。 其二十四 清吉 汝 ( そなた )は腑甲斐無い、意地も察しも無い男、何故私には打明けて 過般 ( こなひだ )の夜の始末をば今まで話して呉れ無かつた、私に聞かして気の毒と 異 ( おつ )に遠慮をしたものか、余りといへば 狭隘 ( けち )な根性、よしや仔細を聴たとてまさか私が 狼狽 ( うろたへ )まはり動転するやうなことはせぬに、女と軽しめて何事も知らせずに置き隠し立して置く 良人 ( うちのひと )の了簡は兎も角も、 汝等 ( そなたたち )まで私を聾に盲目にして済して居るとは余りな仕打、また親方の腹の中がみす/\知れて居ながらに平気の平左で酒に浮かれ、女郎買の供するばかりが男の能でもあるまいに、 長閑気 ( のんき )で斯して遊びに来るとは、清吉 汝 ( おまへ )もおめでたいの、 平生 ( いつも )は 不在 ( るす )でも飲ませるところだが今日は私は関へない、海苔一枚焼いて遣るも厭なら下らぬ世間咄しの相手するも虫が嫌ふ、飲みたくば勝手に台所へ行つて呑口ひねりや、談話が仕たくば猫でも相手に為るがよい、と何も知らぬ清吉、道益が帰りし跡へ 偶然 ( ふと )行き合はせて散 にお吉が不機嫌を浴せかけられ、訳も了らず驚きあきれて、へどもどなしつゝ段 と様子を問へば、 自己 ( おのれ )も知らずに今の今まで居し事なれど、聞けば成程何あつても 堪忍 ( がまん )の成らぬのつそりの憎さ、生命と頼む我が親方に重 恩を被た身をもつて無遠慮過ぎた十兵衞めが処置振り、飽まで親切真実の親方の顔蹈みつけたる憎さも憎し何して呉れう。 ムヽ親方と十兵衞とは相撲にならぬ身分の 差 ( ちが )ひ、のつそり相手に争つては夜光の 璧 ( たま )を 小礫 ( いしころ )に 擲付 ( ぶつ )けるやうなものなれば、腹は十分立たれても分別強く堪へて堪へて、誰にも彼にも鬱憤を洩さず知らさず居らるゝなるべし、ゑゝ親方は情無い、他の奴は兎も角清吉だけには知らしても可さそうなものを、親方と十兵衞では此方が損、我とのつそりなら損は無い、よし、十兵衞め、たゞ置かうやと 逸 ( はや )りきつたる鼻先思案。 姉御、知らぬ中は是非が無い、堪忍して下され、様子知つては憚りながら既叱られては居りますまい、此清吉が女郎買の供するばかりを能の野郎か野郎で無いか見て居て下され、左様ならば、と 後声 ( しりごゑ )烈しく云ひ捨て格子戸がらり明つ放し、草履も穿かず後も見ず風より疾く駆け去れば、お吉今さら気遣はしくつゞいて追掛け呼びとむる二 タ声三声、四声めには 既 ( はや )影さへも見えずなつたり。 斯様 ( かう ) 截 ( き )れ 彼様 ( あゝ ) 穿 ( ほ )れ、此処を何様して何様やつて其処に是だけ勾配有たせよ、孕みが何寸凹みが何分と口でも知らせ 墨縄 ( なは )でも云はせ、面倒なるは板片に矩尺の仕様を書いても示し、鵜の目鷹の目油断無く必死となりて自ら励み、今しも一人の 若佼 ( わかもの )に彫物の画を描き与らんと余念も無しに居しところへ、 野猪 ( ゐのしゝ )よりも尚疾く 塵土 ( ほこり )を蹴立てゝ飛び来し清吉。 忿怒の面火玉の如くし逆釣つたる目を一段視開き、畜生、のつそり、くたばれ、と大喝すれば十兵衞驚き、振り向く途端に 驀向 ( まつかう )より岩も裂けよと打下すは、ぎら/\するまで ぎ澄ませし釿を縦に其柄にすげたる大工に取つての刀なれば、何かは堪らむ避くる間足らず左の耳を殺ぎ落され肩先少し切り割かれしが、仕損じたりと又 蹈込 ( ふんご )んで打つを逃げつゝ、抛げ付くる釘箱才槌墨壺 矩尺 ( かねざし )、 利器 ( えもの )の無さに防ぐ術なく、身を翻へして退く 機 ( はずみ )に足を突込む道具箱、ぐざと踏み貫く五寸釘、思はず転ぶを得たりやと笠にかゝつて清吉が振り冠つたる釿の刃先に夕日の光の 閃 ( きら )りと宿つて空に知られぬ 電光 ( いなづま )の、疾しや遅しや其時此時、 背面 ( うしろ )の方に 乳虎 ( にうこ )一声、馬鹿め、と叫ぶ男あつて二間丸太に論も無く 両臑 ( もろずね )脆く 薙 ( な )ぎ倒せば、倒れて益 怒る清吉、忽ち 勃然 ( むつく )と起きんとする襟元 把 ( と )つて、やい 我 ( おれ )だは、血迷ふな此馬鹿め、と何の苦も無く釿もぎ取り捨てながら上からぬつと出す顔は、八方睨みの 大眼 ( おほまなこ )、一文字口怒り鼻、渦巻縮れの両鬢は不動を欺くばかりの相形。 やあ火の玉の親分か、訳がある、打捨つて置いて呉れ、と力を限り払ひ除けむと ( もが )き 焦燥 ( あせ )るを、 栄螺 ( さゞえ )の如き拳固で 鎮圧 ( しづ )め、ゑゝ、じたばたすれば 拳殺 ( はりころ )すぞ、馬鹿め。 親分、情無い、此所を此所を放して呉れ。 馬鹿め。 ゑゝ分らねへ、親分、彼奴を活しては置かれねへのだ。 馬鹿野郎め、べそをかくのか、従順く仕なければ 尚 ( まだ )打つぞ。 親分酷い。 馬鹿め、やかましいは、拳殺すぞ。 あんまり分らねへ、親分。 馬鹿め、それ打つぞ。 馬鹿め。 放して。 馬鹿め。 馬鹿め。 放して。 馬鹿め。 馬鹿め。 放 ( はな )。 馬鹿め。 馬鹿め馬鹿め/\/\、 醜態 ( ざま )を見ろ、従順くなつたらう、野郎我の家へ来い、やい何様した、野郎、やあ此奴は死んだな、詰らなく弱い奴だな、やあい、 誰奴 ( どいつ )か来い、肝心の時は逃げ出して今頃十兵衞が周囲に蟻のやうに 群 ( たか )つて何の役に立つ、馬鹿ども、此方には亡者が出来かゝつて居るのだ、 鈍遅 ( どぢ )め、水でも汲んで来て 打注 ( ぶつか )けて遣れい、落ちた耳を拾つて居る奴があるものか、白痴め、汲んで来たか、関ふことは無い、一時に手桶の水 不残 ( みんな )面へ 打付 ( ぶつけ )ろ、此様野郎は脆く生るものだ、それ占めた、清吉ッ、 確乎 ( しつかり )しろ、意地の無へ、どれ/\此奴は我が背負つて行つて遣らう、十兵衞が肩の疵は浅からうな、むゝ、よし/\、馬鹿ども左様なら。 其二十六 源太居るかと這入り来る鋭次を、お吉立ち上つて、おゝ親分さま、まあ/\此方へと誘へば、ずつと通つて火鉢の前に無遠慮の大胡坐かき、汲んで出さるゝ桜湯を半分ばかり飲み干してお吉の顔を視、 面色 ( いろ )が悪いが何様かした歟、源太は何所ぞへ行つたの歟、定めし 既 ( もう )聴たであらうが清吉めが詰らぬ事を仕出来しての、それ故一寸話があつて来たが、むゝ左様か、既十兵衞がところへ行つたと、ハヽヽ、 敏捷 ( すばや )い/\、流石に源太だは、我の思案より先に身体が 疾 ( とつく )に動いて居るなぞは頼母しい、なあにお吉心配する事は無い、十兵衞と御上人様に源太が 謝罪 ( わび )をしてな、自分の示しが足らなかつたで 手下 ( て )の奴が飛だ心得違ひを仕ました、幾重にも勘弁して下されと三ツ四ツ頭を下げれば済んで仕舞ふ事だは、案じ過しはいらぬもの、其でも 先方 ( さき )が愚図 いへば 正面 ( まとも )に源太が喧嘩を買つて 破裂 ( ばれ )の始末をつければ可いさ、薄 聴いた噂では十兵衞も耳朶の一ツや半分 斫 ( き )り奪られても恨まれぬ筈、随分清吉の 軽躁行為 ( おつちよこちよい )も一寸をかしな可い洒落か知れぬ、ハヽヽ、然し 憫然 ( かはいそ )に我の拳固を大分食つて 吽 ( うん/\ )苦しがつて居るばかりか、十兵衞を殺した後は何様始末が着くと我に云はれて漸く悟つたかして、噫悪かつた、逸り過ぎた間違つた事をした、親方に頭を下げさするやうな事をした歟 噫 ( あゝ )済まないと、自分の 身体 ( みうち )の痛いのより後悔にぼろ/\涙を 飜 ( こぼ )して居る 愍然 ( ふびん )さは、何と可愛い奴では無い歟、喃お吉、源太は酷く清吉を叱つて叱つて十兵衞が所へ 謝罪 ( あやまり )に行けとまで云ふか知らぬが、其は表向の義理なりや是非は無いが、此所は 汝 ( おまへ )の儲け役、彼奴を何か、なあそれ、よしか、其所は源太を抱寝するほどのお吉様に 了 ( わか )らぬことは無い寸法か、アハヽヽヽ、源太が居ないで話も要らぬ、どれ帰らうかい御馳走は預けて置かう、用があつたら何日でもお出、とぼつ/\語つて帰りし後、思へば済まぬことばかり。 女の浅き心から分別も無く清吉に毒づきしが、逸りきつたる若き男の間違仕出して 可憫 ( あはれ )や清吉は 自己 ( おのれ )の世を狭め、わが身は 大切 ( だいじ )の 所天 ( をつと )をまで憎うてならぬのつそりに謝罪らするやうなり行きしは、時の拍子の出来事ながら 畢竟 ( つまり )は我が口より出し 過失 ( あやまち )、兎せん角せん何とすべきと、火鉢の縁に 凭 ( もた )する肘のついがつくりと滑るまで、我を忘れて思案に思案凝らせしが、思ひ定めて、応左様ぢやと、立つて箪笥の大抽匣、明けて 麝香 ( じやかう )の 気 ( か )と共に投げ出し取り出すたしなみの、帯はそも/\ 此家 ( こゝ )へ来し嬉し恥かし恐ろしの其時締めし、ゑゝそれよ。 懇話 ( ねだ )つて買つて貰ふたる博多に繻子に未練も無し、三枚重ねに忍ばるゝ 往時 ( むかし )は罪の無い夢なり、今は苦労の 山繭縞 ( やままゆじま )、ひらりと飛ばす飛八丈此頃好みし 毛万筋 ( けまんすぢ )、千筋百筋気は乱るとも夫おもふは唯一筋、唯一筋の 唐七糸帯 ( からしゆつちん )は、お屋敷奉公せし叔母が 紀念 ( かたみ )と大切に 秘蔵 ( ひめ )たれど何か厭はむ手放すを、と何やら彼やら有たけ出して 婢 ( をんな )に包ませ、夫の帰らぬ其中と櫛 笄 ( かうがい )も手ばしこく小箱に纏めて、さて 其品 ( それ )を無残や余所の蔵に籠らせ、幾干かの金懐中に浅黄の頭巾小提灯、闇夜も恐れず鋭次が家に。 其二十七 池の端の行き違ひより 飜然 ( からり )と変りし源太が腹の底、初めは可愛う思ひしも今は小癪に障つてならぬ其十兵衞に、頭を下げ両手をついて謝罪らねばならぬ忌 しさ。 さりとて打捨置かば清吉の乱暴も我が命令けて為せし歟のやう疑がはれて、何も知らぬ身に心地快からぬ濡衣被せられむ事の口惜しく、唯さへおもしろからぬ此頃余計な魔がさして下らぬ心 労 ( づか )ひを、馬鹿 しき清吉めが 挙動 ( ふるまひ )のために為ねばならぬ苦 しさに益 心 平穏 ( おだやか )ならねど、 処弁 ( さば )く道の処弁かで済むべき訳も無ければ、是も皆自然に湧きし事、何とも是非なしと諦めて厭 ながら十兵衞が家 音問 ( おとづ )れ、不慮の難をば訪ひ慰め、且は清吉を戒むること足らざりしを謝び、のつそり夫婦が様子を視るに十兵衞は例の無言三昧、お浪は女の物やさしく、幸ひ傷も肩のは浅く大した事ではござりませねば 何卒 ( どうぞ )お案じ下されますな、態 御見舞下されては 実 ( まこと )に恐れ入りまする、と如才なく口はきけど言葉遣ひのあらたまりて、 自然 ( おのづ )と何処かに 稜角 ( かど )あるは問はずと知れし胸の中、若しや源太が清吉に内 含めて為せし歟と疑ひ居るに極つたり。 ゑゝ業腹な、十兵衞も大方我を左様視て居るべし、 疾 ( とく ) 時機 ( とき )の来よ此源太が 返報 ( しかへし )仕様を見せて呉れむ、清吉ごとき 卑劣 ( けち )な野郎の為た事に何似るべき歟、 釿 ( てうな )で片耳殺ぎ取る如き下らぬ事を我が為うや、我が腹立は木片の火のぱつと燃え立ち直消ゆる、堪へも意地も無きやうなる事では済まさじ承知せじ、今日の変事は今日の変事、我が癇癪は我が癇癪、全で別なり 関係 ( かゝりあひ )なし、源太が為やうは知るとき知れ悟らする時悟らせ呉れむと、 裏 ( うち )にいよ/\不平は懐けど露塵ほども外には出さず、義理の挨拶見事に済まして直其足を感応寺に向け、上人の御目通り願ひ、一応自己が 隷属 ( みうち )の者の不埓を 御謝罪 ( おわび )し、我家に帰りて、 卒 ( いざ )これよりは鋭次に会ひ、其時清を押へ呉たる礼をも演べつ其時の 景状 ( やうす )をも聞きつ、又一ツには散 清を罵り叱つて 以後 ( こののち )我家に出入り無用と云ひつけ呉れむと立出掛け、お吉の居ぬを不審して何所へと問へば、何方へか 一寸 ( ちよと )行て来るとてお出になりました、と何食はぬ顔で 婢 ( をんな )の答へ、 口禁 ( くちどめ )されてなりとは知らねば、応左様歟、よし/\、我は火の玉の 兄 ( あにき )がところへ遊びに行たとお吉帰らば云ふて置け、と草履つつかけ出合ひがしら、胡麻竹の杖とぼ/\と 焼痕 ( やけこげ )のある提灯片手、老の歩みの見る目笑止にへの字なりして此方へ来る婆。 おゝ清の 母親 ( おふくろ )ではないか。 あ、親方様でしたか、 其二十八 あゝ好いところで御眼にかゝりましたが 何所 ( どちら )へか御出掛けでござりまするか、と忙し気に 老婆 ( ばゞ )が問ふに源太軽く会釈して、まあ能いは、遠慮せずと此方へ這入りやれ、態 夜道を拾ふて来たは何ぞ急の用か、聴いてあげやう、と立戻れば、ハイ/\、有り難うござります、御出掛のところを済みません、御免下さいまし、ハイ/\、と云ひながら後に随いて格子戸くゞり、寒かつたらうに能う出て来たの、生憎お吉も居ないで関ふことも出来ぬが、 縮 ( ちゞこ )まつて居ずとずつと前へ 進 ( で )て火にでもあたるがよい、と親切に云ふてくるゝ源太が言葉に愈 身を堅くして縮まり、お構ひ下さいましては恐れ入りまする、ハイ/\、懐炉を入れて居りますれば是で恰好でござりまする、と意久地なく落かゝる水涕を洲の立つた半天の袖で拭きながら 遥 ( はるか ) 下 ( さが )つて入口近きところに蹲まり、何やら云ひ出したさうな素振り、源太早くも大方察して 老婆 ( としより )の心の中嘸かしと気の毒さ堪らず、余計な事仕出して我に肝煎らせし清吉のお先走りを罵り懲らして、当分出入ならぬ由云ひに鋭次がところへ行かんとせし矢先であれど、視れば我が子を除いては阿彌陀様より他に親しい者も無かるべき 孱弱 ( かよわ )き婆のあはれにて、我清吉を突き放さば身は腰弱弓の 弦 ( つる )に断れられし心地して、在るに甲斐なき生命ながらへむに張りも無く的も無くなり、何程か悲み歎いて多くもあらぬ余生を愚痴の涙の時雨に暮らし、晴 とした気持のする日も無くて終ることならむと、思ひ遣れば思ひ遣るだけ 憫然 ( ふびん )さの増し、煙草捻つてつい居るに、婆は少しくにぢり出で、夜分まゐりまして実に済みませんが、あの少しお願ひ申したい訳のござりまして、ハイ/\、既御存知でもござりませうが彼清吉めが飛んだ事をいたしましたさうで、ハイ/\、鐵五郎様から大概は聞きましたが、平常からして気の逸い奴で、直に打つの 斫 ( き )るのと騒ぎまして其度にひや/\させまする、お蔭さまで一人前にはなつて居りましても未だ 児童 ( がき )のやうな 真一酷 ( まいつこく )、悪いことや曲つたことは決して仕ませぬが取り上せては分別の無くなる困つた 奴 ( やつこ )で、ハイ/\、悪気は夢さら無い奴でござります、ハイ/\其は御存知で、ハイ有り難うござります、何様いふ筋で喧嘩をいたしましたか知りませぬが大それた 手斧 ( てうな )なんぞを振り舞はしましたそうで、左様きゝました時は私が手斧で斫られたやうな心持がいたしました、め組の親分とやらが幸ひ抱き留めて下されましたとか、まあ責めてもでござります、相手が死にでもしましたら 彼奴 ( あれめ )は下手人、わたくしは彼を亡くして生きて居る瀬はござりませぬ、ハイ有り難うござります、彼めが 幼少 ( ちひさい )ときは 烈 ( ひど )い 虫持 ( むしもち )で苦労をさせられましたも大抵ではござりませぬ、漸く中山の鬼子母神様の御利益で満足には育ちましたが、癒りましたら 七歳 ( なゝつ )までに御庭の土を踏ませませうと申して置きながら、遂何彼にかまけて御礼参りもいたさせなかつた其御罰か、丈夫にはなりましたが彼通の無鉄砲、毎 お世話をかけまする、今日も今日とて鐵五郎様がこれ/\と掻摘んで話されました時の私の吃驚、刃物を 準備 ( ようい )までしてと聞いた時には、ゑゝ又かと思はずどつきり胸も裂けさうになりました、め組の親分様とかが預かつて下されたとあれば安心のやうなものゝ、清めは怪我はいたしませぬかと聞けば鐵様の曖昧な返辞、別条はない案じるなと云はるゝだけに猶案ぜられ、其親分の家を尋ぬれば、其処へ 汝 ( おまへ )が行つたが好いか行かぬが可いか我には分らぬ、兎も角も親方様のところへ伺つて見ろと云ひつ放しで帰つて仕舞はれ、猶 胸がしく/\痛んで居ても起ても居られませねば、留守を 隣家 ( となり )の傘張りに頼むでやうやく参りました、何うかめ組の親分とやらの家を教へて下さいまし、ハイ/\直にまゐりまするつもりで、何んな態して居りまするか、若しや却つて大怪我など為て居るのではござりますまいか、よいものならば早う逢て安堵したうござりまするし喧嘩の模様も聞きたうござりまする、大丈夫曲つた事はよもやいたすまいと思ふて居りまするが若い者の事、ひよつと筋の違つた意趣でゞも為た訳なら、相手の十兵衞様に先此婆が一生懸命で謝罪り、婆は仮令如何されても惜くない 老耄 ( おいぼれ )、生先の長い 彼奴 ( あれめ )が人様に恨まれるやうなことの無いやうに為ねばなりませぬ、とおろ/\涙になつての話し。 始終を知らで一 ト筋に我子をおもふ老の繰言、此返答には源太こまりぬ。 其二十九 八五郎其所に居るか、誰か来たやうだ明けてやれ、と云はれて、なんだ不思議な、女らしいぞと口の中で 独語 ( つぶやき )ながら、誰だ女嫌ひの親分の所へ今頃来るのは、さあ這入りな、とがらりと戸を引き退くれば、 八 ( は )ッ 様 ( さん )お世話、と軽い挨拶、提灯吹き 滅 ( け )して頭巾を脱ぎにかゝるは、此盆にも此の正月にも心付して呉れたお吉と気がついて八五郎めんくらひ、素肌に一枚どてらの 袵 ( まへ )広がつて 鼠色 ( ねずみ )になりし 犢鼻褌 ( ふんどし )の見ゆるを急に押し隠しなどしつ、親分、なんの、あの、なんの姉御だ、と忙しく奥へ声をかくるに、なんの尽しで分る江戸ッ児。 応左様か、お吉来たの、能く来た、まあ 其辺 ( そこら )の 塵埃 ( ごみ )の無さゝうなところへ坐つて呉れ、油虫が這つて行くから用心しな、野郎ばかりの家は 不潔 ( きたない )のが 粧飾 ( みえ )だから仕方が無い、 我 ( おれ )も 汝 ( おまへ )のやうな好い嚊でも持つたら 清潔 ( きれい )に為やうよ、アハヽヽと笑へばお吉も笑ひながら、左様したらまた不潔 と 厳敷 ( きびしく ) 御叱 ( おいぢ )めなさるか知れぬ、と互ひに二ツ三ツ 冗話 ( むだばな )し仕て後、お吉少しく改まり、清吉は 眠 ( ね )て居りまするか、何様いふ様子か見ても遣りたし、心にかゝれば参りました、と云へば鋭次も打頷き、清は今がたすや/\ 睡着 ( ねつ )いて起きさうにも無い容態ぢやが、疵といふて別にあるでもなし頭の 顱骨 ( さら )を打破つた訳でもなければ、 整骨医師 ( ほねつぎいしや )の先刻云ふには、 烈 ( ひど )く逆上したところを滅茶 に撲たれたため一時は気絶までも為たれ、 保証 ( うけあひ )大したことは無い由、見たくば一寸覗いて見よ、と先に立つて導く後につき行くお吉、三畳ばかりの部屋の中に一切夢で眠り居る清吉を見るに、顔も頭も膨れ上りて、此様に撲つてなしたる鋭次の 酷 ( むご )さが恨めしきまで 可憫 ( あはれ )なる 態 ( さま )なれど、済んだ事の是非も無く、座に戻つて鋭次に対ひ、 我夫 ( うち )では必ず清吉が余計な手出しに腹を立ち、御上人様やら十兵衞への義理をかねて酷く叱るか出入りを 禁 ( と )むるか何とかするでござりませうが、元はといへば清吉が自分の意恨で仕たではなし、 畢竟 ( つまり )は此方の事のため、筋の違つた腹立をついむら/\としたのみなれば、妾は 何 ( どう )も 我夫 ( うち )のするばかりを見て居る訳には行かず、殊更少し訳あつて妾が 何 ( どう )とか為てやらねば此胸の済まぬ 仕誼 ( しぎ )もあり、それやこれやを 種 ( いろ/\ )と案じた末に浮んだは一年か半年ほど清吉に 此地 ( こち )退かすること、人の噂も遠のいて我夫の機嫌も治つたら取成し様は幾干も有り、まづそれまでは上方あたりに遊んで居るやう為てやりたく、路用の金も 調 ( こしら )へて来ましたれば少しなれども御預け申しまする、何卒宜敷云ひ含めて清吉めに与つて下さりませ、我夫は彼通り表裏の無い人、腹の底には如何思つても必ず辛く清吉に一旦あたるに違ひ無く、未練気なしに叱りませうが、其時何と清吉が仮令云ふても取り上げぬは知れたこと、傍から妾が口を出しても義理は義理なりや仕様は無し、さりとて慾で 做出来 ( しでか )した咎でもないに男一人の寄り付く島も無いやうにして知らぬ顔では如何しても妾が居られませぬ、 彼 ( あれ )が一人の母のことは彼さへ居ねば我夫にも話して 扶助 ( たすく )るに厭は云はせまじく、また厭といふやうな分らぬことを云ひも仕ますまいなれば掛念はなけれど、妾が今夜来たことやら蔭で清をば劬ることは、我夫へは当分 秘密 ( ないしよ )にして。 解つた、えらい、もう用は無からう、お帰り/\、源太が大抵来るかも知れぬ、 撞見 ( でつくわ )しては拙からう、と愛想は無けれど真実はある言葉に、お吉嬉しく頼み置きて帰れば、其後へ引きちがへて来る源太、果して清吉に、出入りを 禁 ( と )むる師弟の縁断るとの言ひ渡し。 鋭次は笑つて黙り、清吉は泣て詫びしが、其夜源太の帰りし跡、清吉鋭次にまた泣かせられて、 狗 ( いぬ )になつても我や姉御夫婦の門辺は去らぬと唸りける。 四五日過ぎて清吉は八五郎に送られ、箱根の 温泉 ( いでゆ )を志して江戸を出しが、夫よりたどる東海道いたるは京か大阪の、夢はいつでも 東都 ( あづま )なるべし。 其三十 十兵衞傷を負ふて帰つたる翌朝、 平生 ( いつも )の如く 夙 ( と )く起き出づればお浪驚いて急にとゞめ、まあ滅相な、 緩 ( ゆる )りと臥むでおいでなされおいでなされ、今日は取りわけ朝風の冷たいに破傷風にでもなつたら何となさる、どうか臥むで居て下され、お湯ももう直沸きませうほどに 含嗽 ( うがひ ) 手水 ( てうづ )も其所で妾が為せてあげませう、と 破土竃 ( やぶれべつつひ )にかけたる 羽虧 ( はか )け釜の下焚きつけながら気を揉んで云へど、一向平気の十兵衞笑つて、病人あしらひにされるまでの事はない、手拭だけを絞つて貰へば顔も一人で洗ふたが好い気持ぢや、と 箍 ( たが )の緩みし小盥に自ら水を汲み取りて、別段悩める 容態 ( やうす )も無く 平日 ( ふだん )の如く振舞へば、お浪は呆れ且つ案ずるに、のつそり少しも頓着せず 朝食 ( あさめし )終ふて立上り、 突然 ( いきなり )衣物を脱ぎ捨てゝ股引腹掛 着 ( つけ )にかゝるを、飛んでも無い事何処へ行かるゝ、何程仕事の大事ぢやとて昨日の今日は疵口の合ひもすまいし痛みも去るまじ、 泰然 ( ぢつ )として居よ身体を使ふな、仔細は無けれど 治癒 ( なほ )るまでは 万般 ( よろづ ) 要慎 ( つゝしみ )第一と云はれた御医者様の言葉さへあるに、無理圧して感応寺に行かるゝ心か、強過ぎる、仮令行つたとて働きはなるまじ、行かいでも誰が咎めう、行かで済まぬと思はるゝなら妾が 一寸 ( ちよと )一 ト走り、お上人様の御目にかゝつて三日四日の養生を直 に願ふて来ましよ、御慈悲深いお上人様の御承知なされぬ気遣ひない、かならず 大切 ( だいじ )にせい 軽挙 ( かるはずみ )すなと仰やるは知れた事、さあ 此衣 ( これ )を着て家に引籠み、せめて 疵口 ( くち )の 悉皆 ( すつかり ) 密着 ( くつつ )くまで 沈静 ( おちつい )て居て下され、と只管とゞめ宥め慰め、脱ぎしをとつて 復 ( また ) 被 ( き )すれば、余計な世話を焼かずとよし、腹掛着せい、これは要らぬ、と利く右の手にて撥ね退くる。 十兵衞よもや来はせじと思ひ合ふたる職人共、ちらりほらりと辰の刻頃より来て見て吃驚する途端、精出して呉るゝ嬉しいぞ、との一言を十兵衞から受けて皆冷汗をかきけるが、是より 一同 ( みな/\ )励み勤め昨日に変る身のこなし、一をきいては三まで働き、二と云はれしには四まで動けば、のつそり片腕の用を欠いて却て多くの腕を得つ日 工事 ( しごと ) 捗取 ( はかど )り、肩疵治る頃には大抵塔も 成 ( でき )あがりぬ。 手ぬるし手ぬるし酷さが足らぬ、我に続けと憤怒の牙噛み鳴らしつゝ夜叉王の躍り上つて 焦躁 ( いらだて )ば、虚空に充ち満ちたる眷属、をたけび鋭くをめき叫んで遮に無に暴威を揮ふほどに、神前寺内に立てる樹も富家の庭に養はれし樹も、声振り絞つて泣き悲み、見る/\大地の髪の毛は恐怖に一 竪立 ( じゆりつ )なし、柳は倒れ竹は割るゝ折しも、黒雲空に流れて樫の実よりも大きなる雨ばらり/\と降り出せば、得たりとます/\暴るゝ夜叉、垣を引き捨て塀を蹴倒し、門をも 破 ( こは )し屋根をもめくり軒端の瓦を踏み砕き、唯一 ト揉に屑屋を飛ばし二 タ揉み揉んでは二階を捻ぢ取り、三たび揉んでは 某寺 ( なにがしでら )を物の見事に 潰 ( つひや )し崩し、どう/\どつと 鬨 ( とき )をあぐる其度毎に心を冷し胸を騒がす人 の、彼に気づかひ此に案ずる笑止の様を見ては喜び、居所さへも無くされて悲むものを見ては喜び、いよ/\図に乗り狼藉のあらむ限りを逞しうすれば、八百八町百万の人みな生ける心地せず顔色さらにあらばこそ。 中にも分けて驚きしは圓道爲右衞門、折角僅に出来上りし五重塔は揉まれ揉まれて九輪は動ぎ、頂上の宝珠は空に得読めぬ字を書き、岩をも転ばすべき風の突掛け来り、楯をも貫くべき雨の 打付 ( ぶつか )り来る度撓む姿、木の軋る音、 復 ( もど )る 姿 ( さま )、又撓む姿、軋る音、今にも 傾覆 ( くつがへ )らんず様子に、あれ/\危し仕様は無きか、傾覆られては大事なり、止むる術も無き事か、雨さへ加はり来りし上周囲に樹木もあらざれば、未曾有の風に 基礎 ( どだい )狭くて丈のみ高き此塔の 堪 ( こら )へむことの覚束なし、本堂さへも此程に動けば塔は如何ばかりぞ、風を止むる呪文はきかぬか、かく恐ろしき大暴風雨に見舞に来べき源太は見えぬ歟、まだ新しき出入なりとて重 来では叶はざる十兵衞見えぬか寛怠なり、 他 ( ひと )さへ 斯様 ( かほど )気づかふに己が 為 ( せ )し塔気にかけぬか、あれ/\危し又撓むだは、誰か十兵衞招びに行け、といへども天に瓦飛び板飛び、地上に砂利の舞ふ中を行かむといふものなく、漸く賞美の金に飽かして掃除人の七藏爺を出しやりぬ。 大丈夫でござりまする、御安心なさつて御帰り、と突撥る。 其の安心が左様手易くは出来ぬわい、と五月蠅云ふ。 大丈夫でござりまする、と同じことをいふ。 末には七藏焦れこむで、何でも彼でも来いといふたら来い、我の言葉とおもふたら違ふぞ圓道様爲右衞門様の御命令ぢや、と語気あらくなれば十兵衞も少し 勃然 ( むつ )として、我は圓道様爲右衞門様から五重塔建ていとは命令かりませぬ、御上人様は定めし風が吹いたからとて十兵衞よべとは仰やりますまい、其様な情無い事を云ふては下さりますまい、若も御上人様までが塔危いぞ十兵衞呼べと云はるゝやうにならば、十兵衞一期の大事、死ぬか生きるかの 瀬門 ( せと )に乗かゝる時、天命を覚悟して駈けつけませうなれど、御上人様が一言半句十兵衞の細工を御疑ひなさらぬ以上は何心配の事も無し、余の人たちが何を云はれうと、紙を 材 ( き )にして仕事もせず 魔術 ( てづま )も手抜もして居ぬ十兵衞、天気のよい日と同じことに雨の降る日も風の夜も楽 として居りまする、暴風雨が怖いものでも無ければ地震が怖うもござりませぬと圓道様にいふて下され、と愛想なく云ひ切るにぞ、七藏仕方なく風雨の中を駈け抜けて感応寺に帰りつき圓道爲右衞門に此よし云へば、さても其場に臨むでの智慧の無い奴め、何故其時に上人様が十兵衞来いとの仰せぢやとは云はぬ、あれ/\彼揺るゝ態を見よ、 汝 ( きさま )までがのつそりに 同化 ( かぶれ )て寛怠過ぎた了見ぢや、是非は無い、も一度行つて上人様の御言葉ぢやと 欺誑 ( たばか )り、文句いはせず連れて来い、と圓道に烈しく叱られ、忌 しさに 独語 ( つぶや )きつゝ七藏ふたゝび寺門を出でぬ。 上りつめたる第五層の戸を押明けて今しもぬつと十兵衞半身あらはせば、礫を投ぐるが如き暴雨の眼も明けさせず面を打ち、一ツ残りし耳までも 断 ( ちぎ )らむばかりに猛風の呼吸さへ為せず吹きかくるに、思はず一足退きしが屈せず奮つて立出でつ、欄を 握 ( つか )むで屹と 睥 ( にら )めば 天 ( そら )は 五月 ( さつき )の闇より黒く、たゞ 囂 ( がう/\ )たる風の音のみ宇宙に充て物騒がしく、さしも堅固の塔なれど虚空に高く聳えたれば、どう/\どつと風の来る度ゆらめき動きて、荒浪の上に揉まるゝ棚無し小舟のあはや傾覆らむ風情、流石覚悟を極めたりしも又今更におもはれて、一期の大事死生の 岐路 ( ちまた )と八万四千の身の毛 竪 ( よだ )たせ牙 咬定 ( かみし )めて 眼 ( まなこ )を ( みは )り、いざ其時はと手にして来し六分 鑿 ( のみ )の柄忘るゝばかり引握むでぞ、天命を静かに待つとも知るや知らずや、風雨いとはず塔の 周囲 ( めぐり )を幾度となく徘徊する、怪しの男一人ありけり。 いやそれについて話しのある、其十兵衞といふ男の親分がまた滅法えらいもので、若しも 些 ( ちと )なり破壊れでもしたら 同職 ( なかま )の恥辱知合の面汚し、 汝 ( うぬ )はそれでも生きて居られうかと、 到底 ( とても )再度鉄槌も手斧も握る事の出来ぬほど引叱つて、武士で云はば詰腹同様の目に逢はせうと、ぐる/\/\大雨を浴びながら塔の周囲を巡つて居たさうな。 いや/\、それは間違ひ、親分では無い商売 上敵 ( がたき )ぢやさうな、と我れ知り顔に語り伝へぬ。 暴風雨のために 準備 ( したく )狂ひし落成式もいよ/\済みし日、上人わざ/\源太を 召 ( よ )び玉ひて十兵衞と共に塔に上られ、心あつて 雛僧 ( こぞう )に持たせられし御筆に 墨汁 ( すみ )したゝか含ませ、我此塔に銘じて得させむ、十兵衞も見よ源太も見よと 宣 ( のたま )ひつゝ、 江都 ( かうと )の住人十兵衞之を造り川越源太郎之を成す、年月日とぞ筆太に記し了られ、満面に笑を湛へて振り顧り玉へば、両人ともに言葉なくたゞ 平伏 ( ひれふ )して 拝謝 ( をが )みけるが、それより宝塔 長 ( とこしな )へに天に聳えて、西より 瞻 ( み )れば 飛檐 ( ひえん )或時素月を吐き、東より望めば勾欄夕に紅日を呑んで、百有余年の今になるまで、 譚 ( はなし )は活きて遺りける。 このファイルは W3C 勧告 XHTML1. 1 にそった形式で作成されています。 [#…]は、入力者による注を表す記号です。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。 この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。 (数字は、底本中の出現「ページ-行」数。 「(章+夂/貢)/心」 66-上-14、81-上-11.

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外村美姫はセンスが悪い?しまむらを買い過ぎ?プロフィール&あいのり出演の噂

とのむらみきママすた

スポンサード リンク 作業時間15分、1人前161円の超簡単節約レシピ お昼のバラエティ番組バイキング「坂上忍とみきママの 時短!簡単!節約!晩ごはん」で紹介されたパスタレシピ トマトクリームパスタ。 クリームパスタって生クリームを使えばコクが出て美味しいのですが、少しだけ使いたい時って残りをどう使えばいいか困っちゃいますよね。 でも、このクリームパスタは生クリームは使わずに作れちゃうのでお手軽なのです! しかも作業時間はたったの15分。 1人前161円(調味料代は含まず)で作れちゃいます。 それでは、生クリームを使わないトマトクリームパスタの作り方をご紹介しますね。 トマトクリームパスタの作り方 この写真に写ってる以外の材料は、水、砂糖、塩、コショウくらいです。 だいたいいつも家にありますよね。 詳しい材料はこちら。 番組内でみきママが使っていたパスタは7分茹でのものでしたが、私は9分茹でのパスタを使っています。 ツナ缶を旨味たっぷりのオイルごと炒めることでコクもアップします。 後で煮立てるので、ここでは軽く炒めるくらいでOKです。 トマト缶が1缶400ccだったので、トマト缶を先に入れて、その缶でお水を2杯分入れたら計量の手間も省けました。 パスタの茹で時間はキッチンタイマーなどで計ってくださいね! パスタ鍋を別に用意する必要もないので洗い物も増えなくて嬉しい! 今はまだスープパスタっぽくなっていますが、茹で上がる頃にはちょうど良くなるのでご心配なく。 芯は薄切りにして。 パスタが茹で上がる時間の3分前にブロッコリーを加えます。 こんな感じで水分もだいぶ少なくなってきました。 さすがに食べきれなくて余っちゃいました。 でも、トマト缶1缶とか、ツナ缶1缶とかキリの良い分量で作るとなると300gがちょうど良いのかな。 肝心のお味は… うん、やさしいトマトクリームパスタだわ。 結構甘めで、お子さんが喜びそうなお味です。 番組内で試食した坂上忍さんは「カニがいた!」って叫んでいましたが、カニではなかったです(当たり前かー)。 でも、パスタをソースで直接茹でているのでパスタにもしっかり味が入っているし、チーズとバターでコクも出ていて美味しかったです。 お子さんはこのままで、大人はコショウとかタバスコとかをプラスしてパンチを効かせても美味しいと思いました。 大人だけの家だったら お砂糖は控えめにして…。 変更になっている場合もありますので、お店に行かれたりお取り寄せをされたりする際は最新情報を事前にご確認ください。 また、商品に関するお問い合わせはお店にお願いいたします。 NAVERまとめへの転載も禁止です。 当サイトのオリジナル画像と文章に関する二次使用は有償です。 無断使用は発見次第、発信者情報開示請求(書き込み者の特定)及び損害賠償請求を行います。

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